【回想録】決断のとき
今、空港でコーヒーを飲みながら、ようやく少し落ち着く時間を持てた。
寝るとヤバそうなんで、ブログ書いてます…。
運用者である以上、結果が全て。
稼ぐことが仕事である以上、稼げない、損を出す、その時点で存在価値はゼロになる。
それは当たり前のこと。
彼は自分の道を行くことを選んだ。
結果が出なかったことを受け入れながらも、誇りを失わない彼を見れてよかったと思う。シンガポールに来たかいはあったかな。
彼が若く、独身で背負っているものがないから出来る選択かもしれない。
でも前向きに考えた上での選択なら送り出してやろうと思う。
自分は自分の進むべき道をいこう。
人生において、何度か決断や選択をしなければならないときがある。
そこで選んだ道を後悔しないために、必死になって前に進む。
自分にも何度かあったな。
最初は転職。
入社して、運よく株式部先物オプション課に配属された。本人としては想定外だったが、後々聞くと人事部なりに選んだ理由はあったらしい。
最初は「無理」って思った。パソコンも触ったことなかったし、英語なんて大の苦手(今でも苦手です)。自分の前に何人も配属されては異動というのが続いていたらしく、他部署のの先輩からは「何ヶ月もつかねぇ」なんて言われていた。
必死だった。前にも書いたけど、飲みにもいかず、一日三時間も寝てなかったんじゃないかな。でも自分から諦めたくなかった。
そしてプログラミングを覚え、
それなりにデリバティブの知識も身につけ、運用成果が伸び始めていた矢先だった。
「お前、俺の下で働かんか」
他部署の上司から声をかけられた。
もちろんそれは丁寧にお断りした。
そのはずだった…
一ヶ月後、ある水曜日の引け後。
部長に呼ばれていくと
「明日からコイツの下で働け」
の一言。
悔しかった。
ペーペーの自分に選択肢はない。
当時のチーフディーラーが怒ってかけあってくれたが、変わりはしなかった。トイレで泣いたのを今も鮮明に覚えている。
当時、パソコン普及し始めたばかり。
プログラミングまで出来る便利な新人。そんなもんだったのだろう。
その頃、その世代では出世頭と言われていたその上司。
政治的なことにも長けていて、新人の自分にはどうにもならなかった。
オプションをやるために必死で、身を削るような思いをして身につけたスキルが自分の道を思わぬ方向に捻じ曲げた。
そして情報部へ。
営業支援のための分析やレポート、情報収集をする部署だった。
悔しさや色んな気持ちを抱えたままだったが、一生懸命やって認めてもらって元に戻してもらおう。
そう思ってそれなりには頑張ったつもりだった。
しかし、いいモノを作ろうと思っても
「別にこんなん適当にこなせばいいんだ」
と言われる。自分からは上へのポーズでしか仕事を考えていないように思えた。
そしてしょっちゅう「こんなん出来ない?」「あんなん作ってよ」と色々と作らされたっけ。
その頃は自分のこと「ドラえもん」って自嘲的に例えることが多かった。
そんな悶々としていたときだった。
かつての上司(チーフディーラー)が声をかけてくれた。
「お前他所にいく気はあるか?」
答えはもちろん
「はい」
即答だった。
その人は自分が異動になった後、何度も戻せとかけあってくれていたらしい。そして自分も希望を出し続けていた。
それなのに叶えられない…。
その理由は、当時の本部長が
「俺が認めた人事を元に戻すということは、俺が間違いを認めたことになる。そんなことできるか!」
ということだった。
もちろん迷うことなく最初の移籍を決断した。
そのときのチーフディーラーは自分にとって、生涯の兄貴だ。
色んなことがあって、ぶつかり合ったり、離れた時期もあるけど、会社は違ってもその人への感謝を忘れたことはない。
その人が与えてくれたチャンス。
そして自分の決断。
それを後悔しないために…自分のディーラーとしての再挑戦が始まった。
寝るとヤバそうなんで、ブログ書いてます…。
運用者である以上、結果が全て。
稼ぐことが仕事である以上、稼げない、損を出す、その時点で存在価値はゼロになる。
それは当たり前のこと。
彼は自分の道を行くことを選んだ。
結果が出なかったことを受け入れながらも、誇りを失わない彼を見れてよかったと思う。シンガポールに来たかいはあったかな。
彼が若く、独身で背負っているものがないから出来る選択かもしれない。
でも前向きに考えた上での選択なら送り出してやろうと思う。
自分は自分の進むべき道をいこう。
人生において、何度か決断や選択をしなければならないときがある。
そこで選んだ道を後悔しないために、必死になって前に進む。
自分にも何度かあったな。
最初は転職。
入社して、運よく株式部先物オプション課に配属された。本人としては想定外だったが、後々聞くと人事部なりに選んだ理由はあったらしい。
最初は「無理」って思った。パソコンも触ったことなかったし、英語なんて大の苦手(今でも苦手です)。自分の前に何人も配属されては異動というのが続いていたらしく、他部署のの先輩からは「何ヶ月もつかねぇ」なんて言われていた。
必死だった。前にも書いたけど、飲みにもいかず、一日三時間も寝てなかったんじゃないかな。でも自分から諦めたくなかった。
そしてプログラミングを覚え、
それなりにデリバティブの知識も身につけ、運用成果が伸び始めていた矢先だった。
「お前、俺の下で働かんか」
他部署の上司から声をかけられた。
もちろんそれは丁寧にお断りした。
そのはずだった…
一ヶ月後、ある水曜日の引け後。
部長に呼ばれていくと
「明日からコイツの下で働け」
の一言。
悔しかった。
ペーペーの自分に選択肢はない。
当時のチーフディーラーが怒ってかけあってくれたが、変わりはしなかった。トイレで泣いたのを今も鮮明に覚えている。
当時、パソコン普及し始めたばかり。
プログラミングまで出来る便利な新人。そんなもんだったのだろう。
その頃、その世代では出世頭と言われていたその上司。
政治的なことにも長けていて、新人の自分にはどうにもならなかった。
オプションをやるために必死で、身を削るような思いをして身につけたスキルが自分の道を思わぬ方向に捻じ曲げた。
そして情報部へ。
営業支援のための分析やレポート、情報収集をする部署だった。
悔しさや色んな気持ちを抱えたままだったが、一生懸命やって認めてもらって元に戻してもらおう。
そう思ってそれなりには頑張ったつもりだった。
しかし、いいモノを作ろうと思っても
「別にこんなん適当にこなせばいいんだ」
と言われる。自分からは上へのポーズでしか仕事を考えていないように思えた。
そしてしょっちゅう「こんなん出来ない?」「あんなん作ってよ」と色々と作らされたっけ。
その頃は自分のこと「ドラえもん」って自嘲的に例えることが多かった。
そんな悶々としていたときだった。
かつての上司(チーフディーラー)が声をかけてくれた。
「お前他所にいく気はあるか?」
答えはもちろん
「はい」
即答だった。
その人は自分が異動になった後、何度も戻せとかけあってくれていたらしい。そして自分も希望を出し続けていた。
それなのに叶えられない…。
その理由は、当時の本部長が
「俺が認めた人事を元に戻すということは、俺が間違いを認めたことになる。そんなことできるか!」
ということだった。
もちろん迷うことなく最初の移籍を決断した。
そのときのチーフディーラーは自分にとって、生涯の兄貴だ。
色んなことがあって、ぶつかり合ったり、離れた時期もあるけど、会社は違ってもその人への感謝を忘れたことはない。
その人が与えてくれたチャンス。
そして自分の決断。
それを後悔しないために…自分のディーラーとしての再挑戦が始まった。