【ビジネス】MarketForum
今日はマーケットフォーラムの理事会。
10月に開催したマーケットフォーラム2010の報告と来年の活動方針について話し合った。
「世代交代」という目的もあって、若手の数名にも参加してもらった。
思えば10年ちょっと前…
まだ「若手」と呼ばれていた時代。
山一ショックを経験したとき、自分は山一系列の地場証券に所属していた。
もちろんその会社も山一破綻の影響をもろに受け、「この一週間がヤマだ」という状況に陥っていた。
週末にディーリングチーム全員がチーフの家に緊急招集された。
7名ほどのチームだったが、チーフは…
「最悪のことも覚悟してくれ。その場合、自分はオファーがある外資にいく。この中で連れていってやれるのは二人までだ。」
との話。
当時、下から数えた方が早かった自分はもちろんその二人には入っていなかっただろう。
業界に知り合いもロクにいない自分にとっては大きな不安だった。
また別の上司と言い争ったとき
「この業界で生きていけなくしてやる。」
と言われたこともある(ま、それだけ生意気だったんだろうけど)。当時、業界に顔が広かった上司を相手に大きな不安を持ったこともある。
そういった経験もあって、自分は強くならなければ、と思った。
確固たる実績を積み、そして自分自身の業界でのコネクションを持つこと。
自分を貫くためには必要なことだった。
そして東証のフロア(立会場)がなくなり、同業他社と触れ合える機会も激減した。
交流の場を作りたい。
最初はそんな思いでディーラー主体の交流会を開くようになった。
最初は40人ぐらいだったかな。
そして人数が増え、100人、150人、200人と…。
さすがに一人で仕切れる会ではなくなりつつあった。そこで業界でも顔の広い友人たちと共同幹事の形を取り始め、そのときに「Market Forum」という名前になった。
そして人数も250人、300人、400人と増えていった。
400名を超えた時点で会場の確保が難しくなった。ホテルでやれば、最低ラインが10000円を超えてくる。しかし、交流の場を作り、若い子達に視野を広げる機会を作ってやりたい。そして色んな荒波の中でも生き残るためのコネクション作りの機会を作ってやりたい…その主旨からすると若手が参加出来ない参加費ではやる意味がなかった。
そこで「協賛企業」を募り、一人当たりの参加費を抑えようという試みをした。
当時の部下に
「お前いくらだったら自腹で来れる?」
「3500円までです。」
目標は決まった。
その年、協賛企業集めに奔走し、なんとかその目標をクリア出来た。
しかし、そこで問題が生じた。
協賛金の振込先がないのだ。
個人名義の口座に振り込んでもらうわけにもいかない。
そこで翌年はNPO法人を立ち上げた。
昨年は600名。ただ狭い、暑い、人が多過ぎとのクレームが多かったので今年は500名。
そして世代交代を考えられる段階まできた。
決して順風満帆ではなかった。
2008年は相場暴落の日にぶち当たり、ドタキャンが相次いだ結果、幹事が数万円ずつ負担する羽目になったこともある。
心ない人達の風評にさらされ、「引き抜きの場になっている」「タチの悪い連中が来ていた」なんて噂をたてられたこともある。
実際に名簿をみればそんなヤツらは来ていないし、引き抜きなどの行為はやめてくれと言い続けている。
確かにそこで他社の人と知り合い、他所の環境を知った結果、移籍した人もいるかもしれない。
ただそれはマネジメントに問題があると思う。
他社との条件があまりに悪かったり、やりづらい環境だったり…。
ディーラーを籠に押し込めて、移籍を防ぐのではなく、やりがいのある環境を作るべきなんじゃないか、と自分は思う。
でも、そんな障害にも負けずにMarketForumは育ってきた。心ない人の何倍も応援してくれる人がいたから。
とても勇気づけられたのは、メインスポンサーである海外の取引所の駐日代表の方が
「トレーダー主体の会で、これほどの会は海外でも例を見ない。この会は大切にしていかなければいけない。」
という一言だった。
多勢の方の支援でこの会は成り立っている。そしてこの会は参加してくれるみんなのための会だ。
理事(NPOになってからは幹事から理事になった)はボランティアの精神を忘れずに。その精神を次の世代にしっかり伝えていきたい。