【日常・ビジネス】レオとのんびり…フィスコとの回想記
今日は一日家でのんびり。
今、ソファでノートパソコンに向かってブログ書いてる。
隣にはレオがいる。
やっぱりだるいのかな?
少し元気がない。
今週は後半シンガポールに出張もあるし、少しでも一緒にいてやらないと。
今日はホントは会社のホームページ作ったり、色々とやらなきゃ…と思っていたんだけど、色々とあってどーにもテンションが上がらず怠惰な一日を過ごしてしまった。ま、休日なんだし、たまにはいいのかな(^^ゞ
先週、フィスコの友人と飲んだ時に昔話になった。
ずいぶん付き合い長くなったな…
フィスコの週報に寄稿の依頼を受けたのはもう10年以上前。
まだ「若手」と言われた時期だった。当時、地場証券のディーリングチームに所属し、若手として必死だった。そのチームでは先物、オプション、裁定取引、個別株、CBのボラティリティ・トレードなど数名のチームの割にはかなり多様な売買を行っており、その会社の中では収益の柱でもあった。
そのチームのチーフディーラーが将来的な独立を考え始め、フィスコと共同で「展望(フィスコの週刊誌)」をスタートさせた。
そしてその後チーフは独立し、トレーダーズアンドカンパニー(T&C)を立ち上げた。その時、自分は選択を迫られた。当時、プログラムを書くことが出来た自分は「彼」にとってはある意味便利な存在でもあり、システム屋としてその会社に来いとのオファー。
実際に当時フィスコ経由で紹介され、ニフティの株式サイトの構築を手伝ってJAVAベースのチャートアプレットとか開発していた。
朝6時に会社来て(若手だったもんで)、ディーリングやって、夕方6時にタクシーでフィスコにいって開発作業。午前2時3時までは当たり前。納期も間がなく、マジで死ぬかと思う数カ月を経験した。
故田中勝博さんが夕方7時ぐらいに来て、元気よく「今日は徹夜で頑張りましょう!」っていうのが恨めしかった…「アンタさっき起きたでしょ…」(^^ゞ
そんなプログラマーとしての自分はあくまでディーラーとしての副産物。
入社当初にオプションディーラーをやれと上司に言われ、触ったこともない「パソコン」と初めて向き合った。
当時はまだPentiumすら出ていない時代。IntelのDX2とかだった。Windowsも3.1かな。
「一週間で覚えて来い!」と無茶ぶりされ、当時、金が全くなかった自分は先輩に相談して、一番安いパソコンショップを教えてもらった。赤いカードのキャッシングで現金下ろして、ショップに直行。 秋葉原の「マハポーシャ」…変な名前だなと思ったが、スペックからしてかなり割安だったのは確か。とりあえず選択の余地もなく、生まれて初めて買ったのは同社のPCだった。
しばらくしてニュースでそれがオウム真理教のショップだと知った…(-_-;)
必死だった。何度もパソコンぶち壊したいと思った。それでも必死に勉強して「マクロ」を覚え、そしてVBA、せっかくだからとVB、C++、JAVAと気づいてみたら、そのときの頑張りで数年後にはド素人がニフティの株式サイトの開発に関わるところまでになっていた。
でもそれはあくまで「オプション・ディーラー」として道を切り拓くための副産物。それに「ディーラー」は、若い時期に転職してまで目指してきた道。そしてチーフからシステム屋としてオファーをもらったその時期はディーリング収益も大きく伸びていたときでもあった。
自分は「彼」のオファーを断り、その地場に残り、ディーラーとして独りで生きる道を選んだ。 そのときにフィスコから、T&Cメンバーが書いていた部分を書いてくれと言われたのが最初だった。
当初は「エリオット波動分析」と「テクニカル分析講座」。もの書くことは決して専門ではないんだけど…でもニフティの件でも世話になっていたし、とりあえず引き継ぐ人が見つかるまではと引き受けた。まさかそれがここまで続くとは…。
「テクニカル分析講座」→「続・テクニカル分析講座」→「今週のワンポイント」→「しがないディーラーの独り言」
コーナーは変わっていったが、コラムだけでも380回。週刊ということは一年間でほぼ50回(休みもあるので)。つまり7年以上書いていることになる。
当時、フィスコにいた人に「テクニカルとか、ワンポイントとか、もうそろそろネタがないよ。」と言って辞めようと思っていた。 ところが「コラム書いてよ。」「出来るって!」とあっさり押し切られ、書き始めたコラム。 最初は何書いていいか分からなかったし、ネタがないときなんて特に困った。書き始めれば早いんだけど、ネタが決まらないと半日ぐらい悩んだり…(-_-;) 「しがないディーラー」というのもその時に決めた名前。今はすでにファンドマネージャーなんだけどね…(^^ゞ
正直、毎週土曜日に一定の時間を取られるのは結構キツイ。旅行とか行っててもパソコン手放せないし(-_-;) でも続けてきたおかげで得られたものもある。
コラム読んでるよって応援してくれる人。
コラムをきっかけに仲良くなった人。
そして自分にとってもマーケットと少し距離を取って整理するいい時間にもなっている。
何にしても「継続」ってすごいな。一つの会社にいたのは最長でも6年~7年だったから、「展望」との付き合いはすでにそれを上回っている。その間にフィスコの株チーム責任者も何人か変わった。
不思議な縁。
そんな思い出話をフィスコの友人と飲みながらしていた…。
なんかまとまりのない文章だけど…すいません(^^ゞ