【相場懐古】裁定取引
先日のブログで一昔前の最低取引(あ、もとい裁定取引)について書きました。
そしたら日系証券がドイツ証券にSQで壊滅させられた経緯をもっと知りたいとのメッセージをいくつかいただいたので書きます。
現在、裁定取引を行っている証券会社は外資系、大手、銀行系の一角といったところ。日系中小証券などは全く名前も出てきません。
1990年代。
この頃、まだ日系証券は裁定取引をやっていました。
極東証券、大東証券(現みずほインベスターズ証券)、丸万証券(現東海東京証券)、和光証券、新日本証券(現新光証券)、ウツミ屋証券…などなど。
90年代前半ぐらいまでは各社にとって収益の柱にすらなっていました。
その頃、自分もそういった証券のデリバティブ・チームの一員としてディーリングをしており、裁定取引を間近に見てきました。
8インチフロッピーで発注、225銘柄の約定をいちいち手入力していた時代から、システムが整備されて発注・約定・計算までをやってくれるようになり、その辺りから装置産業化の流れが急激に進んでいきました。
同じものをみて、価格差が開いた瞬間に各社の担当者が判断し、225バスケットを発注する。となると一瞬でも先に発注した方がよりいい値段でバスケットを買えるのは当たり前。そしてシステムの発注速度が早ければより優位に立てる。それを日系証券でも競い合っていた頃もありました。
しかし、外資系証券に比べれば設備投資にかけられる金額ははるかに少ない。そして決定的なのは資金調達コストの差。
例えば…
日経平均採用銘柄225銘柄を全部買ったらいくらになるか?現在でザックリ2億5千万程度。10バスケット買えば25億円もの資金が必要になります。TOPIX型だとさらにとんでもない金額の資金が必要になる。先物買えば証拠金だけだから大した金額ではないんですが…。
そのお金を自社の余裕資金だけで賄えるならそれでもいい。でも中小証券は何らかの調達手段によってその資金を借り入れているところがほとんどでした。
そしてその借入金には金利がかかる。規模の大きい大手や銀行系、外資系といったところは信用力もあり、資金調達能力も高いことから、そのコストは非常に小さい。
その差が裁定取引を行う際に、どのぐらいの価格差を取れればポジションを組みにいけるか、という差にもつながるのです。
そういった体力差があっても、裁定取引で数十円抜けるような時代は何とかなりました。しかし、そのサヤが小さくなり続け、スピードも高速化していく中で設備の格差も広がりました。
次に中小証券に不利になったのが「取引所集中義務」の解除。
それによって大量のバスケットを保有しているもの同士(外資や大手)が相対で取引を行うようになり、先物・オプションなどの手口から各社の建玉状況を読むことが難しくなっていきました。
その時代、SQ予想は各社の先物・オプションの手口・建玉状況、日々の裁定売買動向(現物も手口が見れた)から推察し、SQでどう勝負するかと考えていました。それが日系中小証券には見えなくなり始めたのです。
そんな中、1999年のことだったと思います。
あるSQ(3月だったかな?)で、当時は誰も思いもよらなかった出来事が起こりました。
その日、寄り前から225型現物バスケットは大量の売り越し(100万株以上だったと思います)。さすがにそこまで売り超だったときにひっくり返るようなことはそれまでなかったので、SQ値は急落が予想されました。
いつも通り早めに始まるSIMEX(現SGX)の日経平均先物は少し下で始まり、100円安ぐらいまで一気に売られる形になりました。各裁定取引担当者としてはそれぐらい下まで売ったって、もっと安く現物バスケットを買える確信に近い自信があったはずです(おいしいとすら思っていたかも)。
ヘタすればSQ値は▲300円以上下になる可能性もあった。そして近づく寄り付き。みんないくら儲かるかを皮算用していたぐらいだったと思います。しかし、8時59分59秒…寄り付きの間際に信じられない注文が入ったのです。
百数十万株の買い指値。しかも前日値より上で…。一瞬にして決着はつきました。
日頃、数円、数十円を取りにいき、コツコツとやっている裁定業者達が、SGXで安い先物を大量に売り、そして成り行きで買いにいった現物株のバスケットは前日値より全然上で寄り付いたのです。
結果、割安なものを買い、割高なものを売らなければいけない彼らが大幅なマタサキに会い、各社とも千万単位でロスが出たと思います。ホントに一瞬の出来事でした。
正直、誰も見たことがないような注文の入り方でした。信じられないほどギリギリのタイミングでの注文、そして見たことがないほどの規模の注文。相対取引などの需給が見えておらず、背景が理解できていない日系中小証券はそれを読むことができませんでした。
そして、次の次のメジャーSQで同じことがもう一度起こりました。結果的にこれが日系中小証券の裁定業者のトドメを刺した形になっています。
今では裁定取引自体で儲けようというよりは、株券の調達、そしてその株の貸し出し(ヘッジファンドなどへのレンディング)で貸し株料を得ることによって利益を得ようとしているところがほとんどです。
そのビジネスモデルを実現できるところは当然、外資、大手、銀行系といったところに限られてきます。
裁定取引自体、先物が出来はじめてからできるようになった売買。初期はソロモン・ブラザーズ証券などの外資の独壇場でした。日経225先物自体、1988年9月3日から売買開始になっています。つまり約10年ちょっとの間に、日系中小証券にとっては裁定取引という面での収益源にはなりえなくなったのです。
その後も時代は進み、コンピュータによる取引がその影響力を増してきています。
時代は変わる。
その変化に自分を適応させることが出来なければ生き残れない。
かつて「凄腕」と言われたディーラー達が落ちていく姿を幾人も見てきました。
ある時期稼げたから、これからも稼げるという保証はないのです。
常に知識のアンテナを広げ、時代の変化についていく努力をし続けなければいけない。
稼ぎ方は一つじゃない。
ディーラーがうまくいかなくなるとき、それはかつての成功体験が邪魔をすることが少なくありません。
一度うまくいったやり方を捨て去る(もしくは変化させる)ことができない。結果、いずれついていけなくなる。
年齢がいってるからダメ…とは思いません。
ただ常に相場が正しいと認め、自分を変える努力が必要なんだと思います。
その邪魔になるぐらいなら、成功体験は無意味なものになってしまう。
うまくいかないとき「相場がおかしい」のではなく「自分がおかしい」と認める姿勢が大切。
そして新しい手法、やり方にトライし続けること。
そういったハングリーさは若い子の方が持ってるのも確かなんですけどね(^_^;)
おじさんまだまだ頑張るよ!