【トレード】ヤラレについて考える
『ヤラレ』
嫌なもんです…。
誰もヤラレようと思ってトレードなんかしない。
みんな儲かると思ってトレードしたのにヤラレになってしまう。
でもヤラレって全部同じではなかった。
自分がトレードしていたとき、
『しゃあない』とどこかで納得出来るヤラレと、決して自分で許してはいけないと感じるヤラレがあった。
それは
自分なりに分析して、ちゃんとコントロールが効いている中で勝負した結果のヤラレと、
自分を見失い、やらないでいいところで手を出してしまった結果のヤラレ。
と言い換えることが出来る。
もちろんヤラレた以上、何か問題は必ずある。
前者の場合でも、相場観が間違えていたのなら、何を見誤っていたのか?何を見落としていたのか?どうすればその間違いを犯さずに済んだのか?徹底的に自問自答する。
後者の場合は、自己嫌悪しか残らない…。自分に自分で怒り、呆れるしかない。そんなアホなトレードしていなければ、そのヤラレはなかった。それがなければ、その後もっと楽に戦えた。
そう一つ一つのトレードはそれで完結しているように感じるかもしれないけれど、実は連鎖がある。
その無駄なヤラレが焦りや苛立ちを生んだり、その後のトレードを困難にしていく。無駄なヤラレを出して、取り返すのに一ヶ月かかったとしたら…その無駄なヤラレがなければリターンが残せたはずだ。
前に短期トレードではメンタルが重要と書いた。
その無駄なヤラレがリズムを崩すきっかけとなり、ガタガタに崩れていくことだってある。
その無駄なヤラレは様々なところからやってくる。
大きく勝った後に残る慢心が招くもの。
ちょっとヤラレた後に取り返そうと思って手を出す安易さが招くもの。
追い込まれて勝負しなきゃとつい手を出してしまう焦りが招くもの。
思うようにいかない苛立が招くもの。
その辺が人間の弱さなのだろう。
相場を客観的に分析することと同じぐらい、自分のことを客観的に分析することってとても大事。
相場の中で自分を見失うと、後から見たら自分がやったとは思えないようなアホなトレードしまくる時だってある。
うまくいっている時、わずかな心の緩みや慢心が足元をすくう。いつもなら手を出さずにもう少し見極めるはずのところで安易に手を出す。分析や見極めが不十分だから、ポジションの根拠が弱い。結果として、つまらない値振れに振り回されて投げさせられる。
でもまだちょっとのヤラレだ。取り返そうと安易に手を出し始める。『アレ?アレ?』と負けが続き始めて焦りが生まれる。
『取り返さなきゃ』とバタバタ手を出し始める。
そして大きなヤラレが生まれる。
自分は現役の頃、短期トレードでは極力一度負けたら手を止めることを自分に課していた。
一度負けたところで手を止め、相場と間合いを取り、自分を客観視して取り戻すプロセスが必要だと感じていたから。
そして短期トレードでもポジションの根拠を常に考えるようにしていた。
短期トレードではテクニカルを使うことが多かったかな。根拠をしっかりと持てなければ値動きに振り回されてしまうから。
一つ一つのトレードを丁寧に。
いつも自分に言い聞かせていたことだ。
どんなに小さなヤラレでも、そこから(焦りが生まれて)綻ぶこともある。
そして無駄なヤラレを出さなければ、その後の戦いが楽になる。
結局は数字を積み上げなければならないこの仕事。
いかに無駄なヤラレを減らし、勝ちを利益として残していくかになる。無駄なヤラレ出しまくると勝ちは損を取り返して終わりなんてことになりかねない。
一つ一つのトレードを大切に出来なければ、数字は残らない。