【ビジネス】証券ディーラー受難のとき…
昨日、十年来の知人とランチした。
証券ディーラーだった彼だが、先月で会社を辞めることになったとのこと。
転職活動をしているのだが、かなり厳しいと。
当然、直近のレコードがあまり出ていないし、年齢的にも40歳前後というのは難しい。
さらに中小証券のディーリング部門はほとんどの会社が苦戦し、大幅な縮小・閉鎖を迫られている。
知り合いのところでも「17人が3人」、「閉鎖」、「現物株運用撤退」…。
同期の連中でも再就職がままならない仲間が何人もいる。
アルバイトをやって食いつないだりしている。
本当に今の状況は厳しい。
稼げなければ自分の場所を守れないこの仕事。
仕方ないのかもしれないが、これまでならどこかで再挑戦のチャンスは得られた。今はそれすらも可能性薄。
2000年前後から中小証券はビジネスモデルを失った。
これまでのリテール(個人)ビジネスはネット証券の取って代わられ、ホールセール(法人)はより規模の大きい外資系・大手に流れてしまった。
結果として、自己売買(ディーリング)に活路を見出そうとするところが多くなり、実際にそれでこの十年を生き残ってきた。
でも今また大きな問題に直面している。
それはこの十年の間にするべきことをしてこなかったから…。
中小証券はより優秀なディーラーを獲得するために成功報酬を引き上げまくった。
20%程度だったものが30%、40%、中には50%超も…。
結果、ディーラーは個人収益のみを追うようになり、自分の手取りを意識して運用する傾向が強くなった。
一攫千金(そういう欲も必要っちゃあ必要だけど)を追うようなディーラーが増え、一部にはモラルの低下を招き、コンプライアンス上の問題も目立つようになった。
そういったディーラー達を好意的に見てくれるバックオフィスの人たちは少ない(というよりほとんどいない)。「寄り前に来て、場が引けたらさっさと帰って飲んで、儲かったら高給取り、やられたら他社に移ればゼロから再スタート、損は元の会社に残す」そんな批判をしていたバックオフィスの人もいた。そしてある部分では残念だけどそれは事実だ…。
実際に最前線で戦っている自分たちを支えてくれるのはそういった人たち。その人たちが全力で支援してくれるからこそ、最前線でより積極的に動けるし、新しいことにもチャレンジできる。それが出来なくなってしまった。
そして会社側もコンプライアンスに対して異常なほど保守的になり、結果として新しいことは何一つ出来ない。ディーラーも学ぶこと、努力することを怠る者が増えた。「どうせ無駄だから」と。
でも時代は変わる。
マーケットを取り巻く環境は刻々と変化し、特に欧米ではコンピュータによる運用が発達、進化していった。
なぜそういった運用が日本に入ってくるのが遅れたか…。決定的だったのは取引所のシステムの処理能力による。超高速取引(Hige Frequensy Trading)を行う彼らにとって、注文出しても反応が遅い東証のシステムが参入障壁になっていた。
それがアローヘッド稼働で一気に参入してきた。
そしてコロケーション(取引所内にサーバー、プログラムを置いて物理的な短縮を図る)。
当然、新しいことにチャレンジせずに古い運用しかしていなかったディーラーは苦戦する。
そして大きな問題は、中小証券の多くが日計りしか許容していなかったこと。その運用が短期であればあるほど、高速性を利用したコンピュータに勝つことは難しくなる。
なぜ日計りに偏ってしまったのか?
会社がリスクを嫌ったから。
実際にディーリング部をマネージメントする側に立ってみるとよく分かる。
ほとんどの会社がディーラー個人に対して成功報酬を約束している。そして先ほど書いたように成功報酬は跳ね上がっている(ちなみに海外の平均は15~20%)。例えば40%と仮定すると、10人いて10人全員が儲かっていればそれでもいい。でも難しい相場になればそうはいかない。ほとんどのディーリング部がその収益のコアになる部分はほんの数人が稼ぎ出している。その彼らに40%を渡し、残りの60%が会社の取り分。でも残りのメンバーがもし損失を出していたら…会社の利益はほとんどなくなる。
結果、みんなが儲かるような相場じゃないと利益が出ない仕組みになってしまっているのだ。だから会社は「損」に対して神経質になる。そしてオーバーナイト(ポジションの持ち越し)を嫌い、目先の利益を追うようになる。
それがディーラー達の運用手段を縛り、制約することとなった。ディーラー達はロング・ショートやポジションをキャリーするようなトレーディングが出来ず、またその研究を怠ってしまった。
ヘッジファンドでは逆に「日計り」なんてかなりレア物。手数料かかって馬鹿馬鹿しいし、相場を取る運用を彼らは主としている。だからコンピュータが台頭してきてもまだまだ戦えている。
この10年余りディーラーは報酬的にはとても恵まれた環境にあった。自分もその一人。先輩の時代は10億稼いでも社長賞にボーナスちょっと…そんな状況だった。それが想像もできないような高額報酬を得て、そして海外からみても異常な水準の成功報酬を得てきた。
そのツケが今一気に押し寄せてきている。
仲間の多くがこの業界を去り、戻ることが出来ずにいる。
でもそんな中で頑張っている若手もいる。
そんな彼らのためにも、日本でも(限られた資金力でも)ヘッジファンドを立ち上げ、そして運用をビジネスとしてやっていくことはできるんだ…そんなことを伝えていきたい。その道を切り拓く…そんな思いで今の会社を仲間と立ち上げた。
もう数年早くやっておくべきだった…と思うこともある。
間に合わないかもしれない…そんな気がすることもある。
でも今出来ることを全力でやっていこう。
応援してくれる人たちがいる。
一緒に戦ってくれる仲間がいるから