【ビジネス】MarketForum①
以前にも回想録で書いたかもしれないけれど、本業とまたべつに大切にしてきたものがある。
『MarketForum』
最初はただのディーラー飲み会だった。
最初は30〜40名前後だっただろうか?
調査・情報系の方との飲み会も別にやっていた。
その手の飲み会は定期的に企画し、幹事をやっていた。
業界内での横のつながりの大切さを思い知っていたから。
『山一ショック』
自分がまだ若手の一人に過ぎず、『◯◯さんの後輩』でしかなかった頃にそれは起きた。
山一證券にいたわけではないけれど、山一系列の地場証券に所属していた。ただの若いだけの実績もない契約ディーラーとして。
最初の会社で上の人間の思惑に振り回された。デリバティブが分かって、プログラムもかける便利な駒になりかけていた自分は、それがアダとなって一度ディーラーとしての道を閉ざされかけたことがある。小さいながらもディーラーとしての結果を出しているにも関わらず。
そして元のチーフが手を差し伸べてくれ、知り合いがチーフディーラーをやっていたその会社に移籍することが出来た【回想録2011年10月から】。
でも間もなく『契約にならないとディーラーはやらせない』と言われて、かなり低い成功報酬で契約になる道を選択せざるをえなくなった。
吹けば飛ぶような存在だった。
先物をやれといわれ、たった一枚のポジションで張らされた。
毎月千円口以上抜いて、想定元本に対する年利でのリターンも年率100%を軽く上回り続けていたにも関わらず、それはなかなか増やしてもらえなかった。
当然、利益額も知れている。年に千数百万がいいとこだった。
『月平均で一千万超えてようやく一人前』
と言われていた時期。
まだ実績も何もなかった。
退路を絶って決断した転職。
当時はまだ若かったけれど、嫁も子供もいた。
『ディーラーとして結果が出せなければどんなに大変な仕事をしてでも家族だけは守るからやらせて欲しい』
そうやって選んだ道だった。
焦りや苛立ちもあった。
でも懸命にやるしかなかった。
そんな時に起きた山一ショック。
系列証券だった自分の会社も、この一週間が山だと言われた。
全てのポジションを手仕舞い、週末にチーフの家に集められて今後のことについて話をされた。
『俺は外資系の友人がいるから、もし会社がダメになったらそちらに行くと思う。この中で連れていってやれるのは二人までだ。』
まだ実績も足りない自分。
チームの中では下から数えた方が早い。
業界内の知り合いなんていないに等しい。
上司に連れていかれて挨拶した程度だ。
覚悟を決めざるをえなかった。
退路を絶って選んだ道。
懸命に頑張ってきた。
毎朝6時には会社に着き、若手としての仕事をこなし、少ない枠ながらも必死に戦い、結果も残してきた。プログラミングの勉強や様々な分析ツールの開発なども深夜までやった。
『あれほど頑張ってきたのに、こんなにあっさりと道が終わってしまうのか。』
その帰り。
目の前が真っ暗になったような気がしていた。
結局、その会社はその危機を乗り切り自分の道が閉ざされることはなかった。
けれど『このままじゃいけない』という思いは強くなっていった。
上の人間の思惑や時代の荒波に振り回されたくないのなら強くなるしかない。
誰にも認めてもらえるだけの実績。
自分自身の多くの人との繋がり。
それを持たなければいけないと思った。
それがディーラー飲み会や交流会を開き始めた自分の奥底にあったのかもしれない。