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【ビジネス】ディーラーという仕事の変遷③

1990年代後半、2000年にかけてぐらいの頃。

 

ディーラーの契約化が本格化していきました。

ディーラーからの成功報酬への要求が強まり、導入されていったのです。

特にITバブルで稼いだディーラー達はその要求を強めていったため、2000年辺りから成功報酬の導入が一気に加速していきました。

 

ただその報酬額は、他の業務をやっている正社員の従業員とはあまりにもかけ離れている。

他部門の従業員からは

「なんであいつらばっかりそんなにもらえるんだ?」

「それなら俺だってディーラーやりたいよ。」

そんな声が高まるのは当たり前のこと。

それを正当化していくためもあって「契約化」が進んでいったのです。

『彼らは契約だから雇用の保証がなく、稼げなければクビというリスクを取っている。だから高い成功報酬も受けられるのだ。』

ざっくり言えばそんなロジックです。

導入当初は20%程度でした。

欧米のヘッジファンドでは『2の20(トゥートゥエンティ)』と呼ばれる報酬率が一般的で、それとほぼ同程度の報酬率だったといえます。

 

(ちょっと話は先の話になっちゃいますが)

その後…

契約化が契機となり、優秀なディーラーの引き抜き合戦が活発化しました。

会社によっては移籍金用意するなんてことすらやっていました。

そして報酬率は高騰していきます。

20%から30%、40%…中には50%すら軽く上回る提示をする会社まで出てきた。

世界的にみても異常な水準まで証券ディーラーの報酬率は高騰していきました。

外務員(営業で契約でやっているような人たち)の報酬率もそれなりに高いんだからという人もいますが、ディーラーの場合は『損を出すこともある』仕事です。

儲かったときの報酬率ばかりが高騰し、損は会社持ち…それはビジネスモデルの崩壊を意味します。

結果、各社は損に対して神経質になり、損を出すなのオンパレードになっていく。そうなってくるとディーラーも勝負できなくなり収益水準自体も低迷していく(今では報酬が高い分、損はディーラー持ちという会社もある)。

その後、ディーリング業界が急激にシュリンクしていったのは、ある意味それが行き過ぎた結果の自滅という当然の帰結だったのかもしれません。

 

ちょっと話を戻します。
成功報酬制度が導入され、契約化が進んでいったディーリング業界。

個人としては嬉しいことです。

ディーラー達の年収も急激に増えました。

年収が数千万どころか億を超えるディーラーも続出し、当時はまだ発表されていた長者番付では地方別でみるとトップ10に中小証券ディーラーの名前が出ているなんて結構あったものです。

ディーラーという職種が花形として見られ、週刊誌では彼らの派手な生活ぶり、豪遊ぶりが取り上げられたりもしました。


自分はこれまで一度も給料や報酬上げてくれと会社に言ったことがありません。
最初は自ら望むと望まざるとに関わらず、当時の上司から「今後は契約にならないとディーラーはやらせない」と一方的に通告され、周囲からは「それじゃ搾取され過ぎ」と揶揄されるような報酬率で契約ディーラーになりました。ディーラー続けたかったら契約になるしかなかったからです。

でもその後、ディーラーとして実績が上がるにつれて勝手に報酬率が上がっていきました。

あるとき「君の実績なこの程度は出さないといけない」と40%を超える報酬率を部長から提示されましたが、「損が出たときのリスクを会社に負担してもらっている立場でこれ以上はもらえません。」と断ったことすらあります。

でも幸運な時代でした。

何も望まなくても報酬がどんどんと増え、自分でも想像しなかったような収入を得られるようになっていったのですから。

でも業界的な報酬の行き過ぎた高騰はビジネスモデルの崩壊を招き、ディーラーやディーリング部の孤立を生み、少しずつディーリング業界を蝕んでいきました。

儲かったときはきっちりと高い報酬をもらっておきながら、損が出たときに平気で会社を辞めて他社に移籍してしまうような無責任極まりないディーラーも少なくありませんでした。

他社に移籍すれば、ゼロから再スタートできるのですから。

残された損は会社が負担し、業績悪化要因となり、他のディーラー達に間接的な負担になるにも関わらず…。

そんなことがあると当然ながら…

「ディーラーなんてロクなヤツがいない。」

「ディーラーなんて自分の金のことしか考えていない。」

そういう声も増えていきます。

 

自分がある会社に移籍してすぐのことでした(もちろん前の会社でもしっかり利益残してですよ)。

外資系の後輩がお祝いかねてサシ飲みをしてくれました。

自分の移籍先の会社が、過去に彼が所属していたことがある会社でもあったので、色々と話してくれました。

たまたまその事務管理部門の人が同じ店にいて、旧知の彼に声をかけました。

「せっかくなんで紹介しますよ。」

そう言われて、しっかり挨拶しておこうと

「今度お世話になる○○と申します。何も分からないのでご指導よろしくお願いします。」

と丁寧に挨拶したつもりだったんですが…

「ふーん。君もスーパーディーラーとかいう連中の一人なの?あんま調子に乗んないでね。」
と返されました。
あまりに失礼だったし、カチンとも来ました。

でも同席しているそいつの顔もあるので、頭下げて「よろしくお願いします。」と返して席に戻りました。

その人は年齢も自分より下だったらしく、紹介した彼は申し訳ないと何度も自分に謝ってくれました。

 

でもその場面はディーラーがどれだけ他部署に嫌われているかを端的に示していたのだと思います。それまでの会社でも何度も直面してきた光景の一つに過ぎません。

 

だから自分は「ミドルやバックオフィスの人たちに応援してもらえるようなディーラーで在りたい」と強く願ってきましたし、自分に言い聞かせてきました。

自分の身の回りの人達だけでも、「こいつは頑張っているから応援してやろう」と思ってもらえるように。でもいちディーラーという立場で変えられることはあまりにも少なかった。

 

他部署の人達から嫌われ、会社という組織で浮いた存在になっていったディーリング部とディーラー達。

より収益を上げるために

マーケットの変化に対応するために

ちゃんと仕事をするために

真っ当なお願いをしているつもりなのに、それを真剣に受け止めてなんとか実現してやろうという人がいない。

若い世代のディーラー達が「何を言ったって無理ですよ。どうせやってもらえない。」と諦めてしまったかのような言葉を発するのを何度も聞きました。

何度も上司にぶつかり、時にはキレました。

真剣に会社をよくするためにお願いしているのに、面倒だの難しいだののらりくらりの先延ばしにされたり、棚上げにされたことなんて何度もありました。

それをやってくれていればこの損失は出なかったのに…とムチャクチャ悔しい思いをしたこともありました。
なんで分かってくれないのだろう…。

 

かつてディーラーとして優秀な実績を残し、この世界のことをよく理解している年配のディーラー達も報酬の高さから契約になっていたため、部長などのディーリング部の長になることはなく、いずれ稼げなくなっていくとともにこの世界から姿を消していきました。ディーリング部でディーラーをめいっぱいやっていた人が長を務めている組織はほとんど聞いたことがありません。本来であれば、彼らのような見識と経験を持っている人がディーリング部門のマネジメントをやっていれば、ディーラー達の思いをもっと形にしてあげられたのかもしれないのに。

『あの人が部長やってくれていたらなぁ』
そんなことを現役時代に何度も思ったことがあります。
だからでしょうね、自分は現在の会社ではそこにこだわっています(もちろんディーラー経験がなくてもディーラーの気持ちをしっかりと受け止めてマネジメントできる人ならOKですが)。
大阪もシンガポールも各拠点の長が元運用者であり、実績も残してきている人にお任せしています。
自分がかつて何度も望んで得られなかったもの。
現場で戦うディーラー達と同じ目線で真剣に戦ってくれる部長。
自分自身もそうでありたい、そうであらなければと思っています。

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プロフィール

tetsu219

Author:tetsu219
元証券ディーラーです。
二十数年ディーラーやって、シンガポールにも一時期行ってヘッジファンドを立ち上げてみたりと色々やってきて、とある証券会社でディーリング部長になり、今はシンガポールでヘッジファンドの設立・経営をやっています。

基本仕事ネタです。
更新は気が向いたときだけ(^^;
でもこのブログを通じて運用を志す若い世代の人たちに何か伝えられること、その一助になればと思っています。

初期は限定記事にしていましたが、今は開き直って全部公開にしてますのでお気軽に(笑)

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