【ビジネス】ディーラーという仕事の変遷①
自分が入社した頃。
ディーラーはまだ正社員が一般的でした。
上司と部下。
先輩と後輩。
そんな当たり前のものがそこにはあった。
上司や先輩から無茶ブリもよくされたし、今ならパワハラと言われてもおかしくはない指導もあった(笑)
でも彼らはまだ若手だった自分に本当に沢山のことを教えてくれました。
有価証券取引税がまだ存在した時代。
手書きで伝票を書き、打刻していた時代。
チマチマした商いなんてある意味やってられない(笑)
その頃はまだ正社員であったため、いくら稼いでも報酬は知れていました。
何億、何十億稼いでも、社長賞もらったり、ボーナスついても百万単位がいいところ。報酬率なんてものは存在しませんでした。
市場はまだ売買代金も少なく、ボラティリティがあった。
でも銀行株なんて全銘柄同じ値段(笑)
護送船団方式に守られているのだから株価が同じであるべきということだったのでしょうが、今思えば笑える話です(^_^;)
市場の中はまだ隙間だらけ、歪みだらけで収益機会も沢山ありました。
それに環境の優位性もあった。
お客さんが電話で価格や板状況問い合わせてから発注し、営業マンや顧客担当のトレーダーが場電にそれを伝えて立会場にそれが伝わり、立会場の場電から場立ちに手サインで注文内容が伝えられて注文が執行される。
そしてそれがお客さんに返るまでその逆のプロセスを辿っていく。
ディーラーはその間のいくつかのプロセスは省略できた。
今でこそHFTは環境の優位性があってズルいなんて言ってますけど、環境の優位性に一番甘えてきたのは我々ディーラーでしょう(^_^;)
もちろんフロントランニングはダメです。
でも顧客注文と自己勘定の線引きは曖昧で、顧客が捌くのに苦労している注文を自己が受けてあげたり(会社の組織形態にもよる)、そんなこともあってか営業の人達はディーラーに感謝している人も結構いた気がします。
ただ利益供与など不透明な取引の温床になりかねないということから、顧客注文との壁(ファイヤーウォール)は強化され、保守的な中小証券の自己売買部門は完全に他部門から切り離されていきました。
環境の優位性もあり
市場には隙間や歪みがあり
稼ぎやすかった。
ただその報酬は低かった。
自己売買部門は他の部門のサポート役としての一面があり、会社という組織の中で浮いた存在ではなかった。
上司や部下、先輩と後輩という関係があり人を育てるということが当たり前だった。
そんな時代でした。
続く…。