【マーケット】裁定残が7年5ヶ月ぶりの低水準…裁定取引これまで
裁定残高が7年5ヶ月ぶりの低水準とのこと。
グラフは日経平均株価と裁定残高の推移。

裁定残ってかつては日経平均株価の推移とほぼ連動して増減してきました。
株価が上がる→先物買いが活発化する→裁定買いが入りやすくなる。
株価が下がる→下落に対するヘッジ売りで先物が売られる→裁定解消売りが出やすくなる。
そんな構図が基本としてはありました。
裁定残の歴史をちょっと振り返ってみると
1987年に株先50が株価指数先物として初の上場。
1988年に日経平均株価先物、TOPIX先物が上場。
1989年に同オプションが上場。
先物が上場されたおかげで「裁定取引」が行われるようになる。
1990年代前半には伝説のソロモンブラザーズの明神氏率いるチームが裁定取引が巨額の利益を上げる(同氏は日本人として副社長まで上り詰め、当時そのチームに所属していた人は現在の金融業界においても活躍している方が多数いらっしゃる)。
それを追うように他の外資系や大手証券、さらには地場証券までもが積極的に裁定取引を開始。
かつてはシステムで全てを発注することができず、裁定取引が入ると場立ちが各ブースを駆け回って単位数分の売買を執行するような状態だった。
それが少しずつシステム化され、自分が入社した頃は8インチフロッピー(黒くて薄いケースに入ったレコードのようなやつ)でガチャ、ガチャ、ガチャと注文が電子的に流れて執行されるようになっていった。
約定データをかき集めて、実際に日経平均株価をいくらで買えたのか、入社当初はExcel(Ver4.0)とかLotus123に手入力しながら確認するような状態だった。
でもうまくいけば数百円抜けるようなこともあった時代だった。
どこのシステムもそんなに早くはないので、225採用銘柄を並べてみていると裁定注文が入ったのが見える。
「このスピードは○○証券だ」
「後ろ(9000番台)から来ているからD証券だ」
なんて状態(笑)
そしてシステム銘柄(当時はシステム銘柄とフロア銘柄に分かれていた)の板をたたくと手口が見えるので確認もできた。
先物の手口も公表されていたので、S証券がどれぐらい先物のポジション持っていて、裁定残もこれぐらい持っているなんてことまで分析できた(今でもJPXのホームページではプログラム売買報告書などが公表されている)。
自分も若手の頃に裁定発注のアシスタントやらされた時期もある。
チーフがマーケット見ながら
「Go」
と声を出す。
その瞬間にアシスタントがEnterキーを押下する。
すると225銘柄(TOPIX型の場合はもっと多い)が発注される。
あとはその約定状況をモニタリングし、「今、日経平均換算でいくらぐらいで何銘柄約定してます」とアシスタントがチーフに告げ、ポジションをコントロールしていく。
しかし、それが急激に高速化していく。
それによって先物と現物の価格差も縮小していき、利ざやも稼ぎづらくなっていった。
さらにシステムコストも高騰し、資金力のあるところでなければついていけなくなっていく。
超高速な裁定注文執行。
ただでさえ小さな利ざやを取りにいく手法。
瞬間的な価格差を目視で見てボタンを押下してでは追いつかなくなっていく。
しかも中小証券は資金力が限定される(裁定取引は資金力がモノを言う)。
資金を借り入れて調達するにせよ、ファンディングコスト(借り入れ金利など)が高い中小証券はどんどん稼ぎづらくなっていった。
そして1998年頃、ドイツ証券が急激に台頭してくる。
メジャーSQのその日、寄り前に100万株以上も売り越し状態だった。
誰もが「これはSQ値は相当下だ」と思ったはずだ。
SIMEX(現SGX)は100円以上安く推移し、さらに売り込まれていく。
そして裁定業者はSGXを早めに売って、現物のバスケットを成り行きで買いを入れ、ただ寄り付きを待っていた。
これまでの常識であれば、そこまで売り超だったものをひっくり返す業者がいるなんてほとんどの人が思っていなかっただろう。
そして9時ちょうど。
「勝った!」
と思った瞬間に目を疑うような動きが市場に起きていた。
前日終値より上までの指値買い。
確か130万株ぐらいだったと思う。
ドイツ証券が一社でひっくり返した。
それによって中小証券の裁定チームはそれぞれかなりの損失を食らったはずだ。
それでも細々と続けていた会社もあったが、その半年後にもう一度同じようなのを食らったところで中小証券の裁定チームはほぼ壊滅した。
その後、裁定取引の様相は変わっていく。
SQはドイツ証券の動向次第。
また利ざや縮小によって裁定取引自体で利益を出すのが困難になっていく。
ただ裁定買い残を持つニーズは変わっていく。
「貸し株」
ヘッジファンドなどが空売り(株を借りて売る)を行う際にどこかから株券を借りてくる必要がある。
ブローカーはその株券を大株主や信託銀行など様々なところから調達を試みるのだが、裁定残を自社勘定で保有することによってその保有している株券を貸し出し、それに対する貸し株料を調達する。裁定ポジションを保有する目的やビジネスモデルに変化が起きていく。今では裁定業者は外資系、大手、銀行系などにかなり限られている。
ただそれでも指数が上がると裁定残が増える。
指数が下がると裁定残が減る。
この連動はずっと続いていたのだけど…。
このところ株価に裁定残がついていかなくなっている。
ポジションを取りづらくなっている理由、その背景を理解しておく必要はありそうですね。
グラフは日経平均株価と裁定残高の推移。

裁定残ってかつては日経平均株価の推移とほぼ連動して増減してきました。
株価が上がる→先物買いが活発化する→裁定買いが入りやすくなる。
株価が下がる→下落に対するヘッジ売りで先物が売られる→裁定解消売りが出やすくなる。
そんな構図が基本としてはありました。
裁定残の歴史をちょっと振り返ってみると
1987年に株先50が株価指数先物として初の上場。
1988年に日経平均株価先物、TOPIX先物が上場。
1989年に同オプションが上場。
先物が上場されたおかげで「裁定取引」が行われるようになる。
1990年代前半には伝説のソロモンブラザーズの明神氏率いるチームが裁定取引が巨額の利益を上げる(同氏は日本人として副社長まで上り詰め、当時そのチームに所属していた人は現在の金融業界においても活躍している方が多数いらっしゃる)。
それを追うように他の外資系や大手証券、さらには地場証券までもが積極的に裁定取引を開始。
かつてはシステムで全てを発注することができず、裁定取引が入ると場立ちが各ブースを駆け回って単位数分の売買を執行するような状態だった。
それが少しずつシステム化され、自分が入社した頃は8インチフロッピー(黒くて薄いケースに入ったレコードのようなやつ)でガチャ、ガチャ、ガチャと注文が電子的に流れて執行されるようになっていった。
約定データをかき集めて、実際に日経平均株価をいくらで買えたのか、入社当初はExcel(Ver4.0)とかLotus123に手入力しながら確認するような状態だった。
でもうまくいけば数百円抜けるようなこともあった時代だった。
どこのシステムもそんなに早くはないので、225採用銘柄を並べてみていると裁定注文が入ったのが見える。
「このスピードは○○証券だ」
「後ろ(9000番台)から来ているからD証券だ」
なんて状態(笑)
そしてシステム銘柄(当時はシステム銘柄とフロア銘柄に分かれていた)の板をたたくと手口が見えるので確認もできた。
先物の手口も公表されていたので、S証券がどれぐらい先物のポジション持っていて、裁定残もこれぐらい持っているなんてことまで分析できた(今でもJPXのホームページではプログラム売買報告書などが公表されている)。
自分も若手の頃に裁定発注のアシスタントやらされた時期もある。
チーフがマーケット見ながら
「Go」
と声を出す。
その瞬間にアシスタントがEnterキーを押下する。
すると225銘柄(TOPIX型の場合はもっと多い)が発注される。
あとはその約定状況をモニタリングし、「今、日経平均換算でいくらぐらいで何銘柄約定してます」とアシスタントがチーフに告げ、ポジションをコントロールしていく。
しかし、それが急激に高速化していく。
それによって先物と現物の価格差も縮小していき、利ざやも稼ぎづらくなっていった。
さらにシステムコストも高騰し、資金力のあるところでなければついていけなくなっていく。
超高速な裁定注文執行。
ただでさえ小さな利ざやを取りにいく手法。
瞬間的な価格差を目視で見てボタンを押下してでは追いつかなくなっていく。
しかも中小証券は資金力が限定される(裁定取引は資金力がモノを言う)。
資金を借り入れて調達するにせよ、ファンディングコスト(借り入れ金利など)が高い中小証券はどんどん稼ぎづらくなっていった。
そして1998年頃、ドイツ証券が急激に台頭してくる。
メジャーSQのその日、寄り前に100万株以上も売り越し状態だった。
誰もが「これはSQ値は相当下だ」と思ったはずだ。
SIMEX(現SGX)は100円以上安く推移し、さらに売り込まれていく。
そして裁定業者はSGXを早めに売って、現物のバスケットを成り行きで買いを入れ、ただ寄り付きを待っていた。
これまでの常識であれば、そこまで売り超だったものをひっくり返す業者がいるなんてほとんどの人が思っていなかっただろう。
そして9時ちょうど。
「勝った!」
と思った瞬間に目を疑うような動きが市場に起きていた。
前日終値より上までの指値買い。
確か130万株ぐらいだったと思う。
ドイツ証券が一社でひっくり返した。
それによって中小証券の裁定チームはそれぞれかなりの損失を食らったはずだ。
それでも細々と続けていた会社もあったが、その半年後にもう一度同じようなのを食らったところで中小証券の裁定チームはほぼ壊滅した。
その後、裁定取引の様相は変わっていく。
SQはドイツ証券の動向次第。
また利ざや縮小によって裁定取引自体で利益を出すのが困難になっていく。
ただ裁定買い残を持つニーズは変わっていく。
「貸し株」
ヘッジファンドなどが空売り(株を借りて売る)を行う際にどこかから株券を借りてくる必要がある。
ブローカーはその株券を大株主や信託銀行など様々なところから調達を試みるのだが、裁定残を自社勘定で保有することによってその保有している株券を貸し出し、それに対する貸し株料を調達する。裁定ポジションを保有する目的やビジネスモデルに変化が起きていく。今では裁定業者は外資系、大手、銀行系などにかなり限られている。
ただそれでも指数が上がると裁定残が増える。
指数が下がると裁定残が減る。
この連動はずっと続いていたのだけど…。
このところ株価に裁定残がついていかなくなっている。
ポジションを取りづらくなっている理由、その背景を理解しておく必要はありそうですね。