【ビジネス】フラッシュ・ボーイズと東証ワーキングペーパーを読んで②
HFTへの批判や問題が強まるにつれて最近思うことがあります。
ここ数年際限なく進む「高速化」への疑問です。
これはあくまで私見です。
間違った考えなのかもしれないし、自分でもまだこうすべきだと強くハッキリとしたものがあるわけではありません。
色んな人とも意見を交わしながら考えていきたいと思うことです。
ミリ秒、マイクロ秒、ナノ秒…。
テクノロジーの進歩は素晴らしいものです。
でもそんな人間が認知すらできない速度が市場に必要なのでしょうか?
「テクノロジーの進歩」と「流動性の供給」というのがHFTがよく掲げる大義名分です。
「なるほど」と思いもする。
でもマーケットはお金を動かす世界。
そのお金の保有者は人間です。
そして株式市場において売買されているのは企業の株式。
その企業は人間が経営しているのです。
人間が認知すらできないような速度である必要があるのでしょうか?
誰のための市場?
誰のための高速化?
高速化が進めば進むほど、その恩恵を享受できる市場参加者は限定されていきます。
資金力豊富で高い技術力をもったHFTに。
そうではない市場参加者は置き去りにされてしまう。
個人投資家がそのレベルの高速化を活用できるとは思えないのです。
そしてめまぐるしく変わる「板」の変化に人間の目は翻弄されていく。
今ですら無節操にすら感じるHFTの取消に振り回されているのです。
外国人投資家の売買シェアが過半を占めるこの国の株式市場。
でも個人投資家はそれに次ぐ2位の売買シェアを持っています。
そして潜在的にはもっと高い可能性を持っているでしょう。
一般の個人投資家、初めて株をやってみようという人達が安心して取引に入れる市場作り。
そういった意味では、限られた市場参加者しか活用できない目視で認知すらできないような進歩が必要だとは感じられない。
際限なき高速化をただ「テクノロジーの進歩」と歓迎してはいけない気がしています。
確かに2000年代のような「遅延」がしょっちゅう起きるようなシステムではいけない。
そういった意味で処理能力の向上は必要でしょう。
その頃、意図的に遅延を仕掛けるような発注行為を行っているヤツもいました。
そういった悪質な発注に対するシステム上の強さも求められます。
だからといって人間では認知もコントロールもできない速度、超高速な処理能力やインフラを持った市場参加者にしか利用できないような速度が必要とも思えないのです。
次期アローヘッドの稼動が近づいています。
おそらく現在の技術の限界まで高速化するわけではないと思います。
取引所側にもそういった理解をしてくださっている面はあると思うので。
ただここ数年行われてきたシステム構築や取引制度の改正はHFTを向いて行われてきた印象がぬぐえません。
「誰のための市場なのか?」
を改めて考えながらこれからの市場をデザインしていって欲しいと願っています。
あくまで私見ですが…
「レギュレーション」があってもいいと思うのです。
F1レースの世界でも「レギュレーション」が存在し、その範囲内で技術を競い合い、より速く走れる車を生み出し、ドライビングし、レースで戦っている。「レギュレーション」なしに技術だけの限界点で開発させれば、もしかしたら人間のドライバーには制御できないモンスター・マシンが生まれるかもしれません。
市場においても何らかの「レギュレーション」があっていいのではないかと思います。例えば、速度や一秒間にやり取りできる電文の数…etc。一定の機械優位は受け入れるべきだとも思っているのですが、際限ない高速化は人間を置き去りにし、機械でなければ制御できない市場を生み出すのではないか?ここ数年の動きを見ているとここから十年先どうなっているのだろうと懸念を持たざるをえないのです。
何らかのレギュレーションの制約の下で、相場観や運用手法を競い合い、マーケットで勝ち残る道を作っていく。
「相場観」「株のバリュー」「指数の水準」そんなものを一切もたないHFTという存在が市場の中核的存在になっている現状は本当に株式市場にとって好ましいものなのでしょうか?
人間のための市場、そこには経営者の思いや夢があり、投資家の期待がある。
投機筋と呼ばれる短期資金のヘッジファンドやディーラー、デイ・トレーダーですら、マーケットの動きを考え、それなりにリスクを取り、「相場で勝負」してきたのです。
このままテクノロジーの進歩だけが全てに優先されていけば、その先に待っている市場はどんな市場なのでしょうか?
今、そしてこれからをそんな市場で戦っている後輩達・部下達は大変です。
本当によく頑張っていると思います。
機械(プログラム)による取引は我々も取り組まなければいけない課題の一つです。
でも市場には夢があって欲しい。
様々な感情や思惑、夢や期待がそこにはあって欲しい。
ただ無機的に機械だけが動く市場なんて想像もしたくない。
それでもテクノロジーの進歩は歓迎すべきものなんかもしれません。
ただここ数年の市場の変化をみてきて感じる疑問は強まる一方なのです。
ここ数年際限なく進む「高速化」への疑問です。
これはあくまで私見です。
間違った考えなのかもしれないし、自分でもまだこうすべきだと強くハッキリとしたものがあるわけではありません。
色んな人とも意見を交わしながら考えていきたいと思うことです。
ミリ秒、マイクロ秒、ナノ秒…。
テクノロジーの進歩は素晴らしいものです。
でもそんな人間が認知すらできない速度が市場に必要なのでしょうか?
「テクノロジーの進歩」と「流動性の供給」というのがHFTがよく掲げる大義名分です。
「なるほど」と思いもする。
でもマーケットはお金を動かす世界。
そのお金の保有者は人間です。
そして株式市場において売買されているのは企業の株式。
その企業は人間が経営しているのです。
人間が認知すらできないような速度である必要があるのでしょうか?
誰のための市場?
誰のための高速化?
高速化が進めば進むほど、その恩恵を享受できる市場参加者は限定されていきます。
資金力豊富で高い技術力をもったHFTに。
そうではない市場参加者は置き去りにされてしまう。
個人投資家がそのレベルの高速化を活用できるとは思えないのです。
そしてめまぐるしく変わる「板」の変化に人間の目は翻弄されていく。
今ですら無節操にすら感じるHFTの取消に振り回されているのです。
外国人投資家の売買シェアが過半を占めるこの国の株式市場。
でも個人投資家はそれに次ぐ2位の売買シェアを持っています。
そして潜在的にはもっと高い可能性を持っているでしょう。
一般の個人投資家、初めて株をやってみようという人達が安心して取引に入れる市場作り。
そういった意味では、限られた市場参加者しか活用できない目視で認知すらできないような進歩が必要だとは感じられない。
際限なき高速化をただ「テクノロジーの進歩」と歓迎してはいけない気がしています。
確かに2000年代のような「遅延」がしょっちゅう起きるようなシステムではいけない。
そういった意味で処理能力の向上は必要でしょう。
その頃、意図的に遅延を仕掛けるような発注行為を行っているヤツもいました。
そういった悪質な発注に対するシステム上の強さも求められます。
だからといって人間では認知もコントロールもできない速度、超高速な処理能力やインフラを持った市場参加者にしか利用できないような速度が必要とも思えないのです。
次期アローヘッドの稼動が近づいています。
おそらく現在の技術の限界まで高速化するわけではないと思います。
取引所側にもそういった理解をしてくださっている面はあると思うので。
ただここ数年行われてきたシステム構築や取引制度の改正はHFTを向いて行われてきた印象がぬぐえません。
「誰のための市場なのか?」
を改めて考えながらこれからの市場をデザインしていって欲しいと願っています。
あくまで私見ですが…
「レギュレーション」があってもいいと思うのです。
F1レースの世界でも「レギュレーション」が存在し、その範囲内で技術を競い合い、より速く走れる車を生み出し、ドライビングし、レースで戦っている。「レギュレーション」なしに技術だけの限界点で開発させれば、もしかしたら人間のドライバーには制御できないモンスター・マシンが生まれるかもしれません。
市場においても何らかの「レギュレーション」があっていいのではないかと思います。例えば、速度や一秒間にやり取りできる電文の数…etc。一定の機械優位は受け入れるべきだとも思っているのですが、際限ない高速化は人間を置き去りにし、機械でなければ制御できない市場を生み出すのではないか?ここ数年の動きを見ているとここから十年先どうなっているのだろうと懸念を持たざるをえないのです。
何らかのレギュレーションの制約の下で、相場観や運用手法を競い合い、マーケットで勝ち残る道を作っていく。
「相場観」「株のバリュー」「指数の水準」そんなものを一切もたないHFTという存在が市場の中核的存在になっている現状は本当に株式市場にとって好ましいものなのでしょうか?
人間のための市場、そこには経営者の思いや夢があり、投資家の期待がある。
投機筋と呼ばれる短期資金のヘッジファンドやディーラー、デイ・トレーダーですら、マーケットの動きを考え、それなりにリスクを取り、「相場で勝負」してきたのです。
このままテクノロジーの進歩だけが全てに優先されていけば、その先に待っている市場はどんな市場なのでしょうか?
今、そしてこれからをそんな市場で戦っている後輩達・部下達は大変です。
本当によく頑張っていると思います。
機械(プログラム)による取引は我々も取り組まなければいけない課題の一つです。
でも市場には夢があって欲しい。
様々な感情や思惑、夢や期待がそこにはあって欲しい。
ただ無機的に機械だけが動く市場なんて想像もしたくない。
それでもテクノロジーの進歩は歓迎すべきものなんかもしれません。
ただここ数年の市場の変化をみてきて感じる疑問は強まる一方なのです。