【ビジネス】証券自己の未来
赤木屋証券の廃業、某中堅証券のディーリング部閉鎖、それ以外にも廃業や廃部を検討しているところはいくつも耳にしている。
恐らくこの3月期末にかけてが一番きつくなると以前から指摘してきた。
そしてそれは本当に残念なことだけど…現実のものとなりつつある。
こういった事態に陥ったのは日系証券自身に最大の問題がある。
2000年前あたりから広がり始めたディーラー(運用者)の契約化。
それまでは正社員ディーラーがほとんどで、10億20億と稼いでも表彰やボーナスがプラスアルファされる程度。
それが成功報酬制度の導入により、報酬の高騰化が生じ、他の部署の正社員との給与格差を許容するためにディーラーの雇用は契約化へと流れた。
初期の頃はそれでも成功報酬は20%程度だったと思う。
それがITバブル→インターネットの普及により大きく変わることとなる。
この技術革新により生じた変化。
ネット証券の台頭だ。
このインフラの変化をビジネスへと結びつけ、それまで営業マンに電話で注文するのが基本だった個人投資家にインターネットを使った即時取引の環境を提供したのが彼らだ。
そして個人投資家は手数料も安く、自らの判断で即時に売買が可能な環境へと流れていく。
それに乗り遅れた日系中小証券は口を揃えるように『富裕層への手厚いサポートを行う対面営業』を看板に掲げるが、世の中そんなに甘くはない。
結果、リテール(対個人)ではネット証券にほとんどを持っていかれ、ホール(対法人)では大手、銀行系、外資系に太刀打ちできなくなった日系中小証券はビジネスモデルを失ってしまった。
その彼らが選択したのが『ディーリング(自己売買)』。
それは決して間違いではなかった。
自分がかつて所属していた会社のディーリング部では月間で10億円以上の利益を上げたこともある(当時はそんな会社がいくつもあった)。
しかし、それを維持するためにより優秀なディーラーの獲得のために各社は成功報酬の引き上げ競争に踏み切った。
30%→40%→中には50%超まで…。
グローバルなファンド(運用会社)の一般的な常識は2%&20%(トゥートゥエンティ)と呼ばれる報酬体系だった(それも今ではさらに低下している)。
預かり資産の2%をマネジメントフィー(管理報酬)として受け取り、成功報酬はそれを差し引いたうえで資産が増加した(儲かった)分の20%。
ファンドの運用報酬がその水準だとすると、そこからオフィスのコストや人件費などが支払われることとなり、ファンドマネージャー個人の報酬はそれを大きく下回ることがザラ。
外資系証券のプロップ・トレーダー(日系証券風にいうとディーラー)の報酬は1ケタが当り前。
明らかに日系中小証券の成功報酬は異常な高さだった。
2005年、2006年あたりでは億の収入を得るディーラーが何人も出てきて、一部では地域の長者番付に名を連ねるほどだった。
しかし、そんなものは長くは続かない。
成功報酬はつまり利益のディーラーの取り分だ。
それが増えるということは会社の取り分は減る。
結果として、全員が儲かるような相場ならなんとかなったものの、難しい相場になり、損失を出すディーラーが出てくると会社の経営としては一気に赤字になっていく。
2007年以降、ほとんどの会社でディーリング・ビジネスは利益をもたらさなくなっていく。
そして『損を出すな』とマネジメントは言い始め、リスクを抑制していく方向に舵をきる。
しかし、残念ながらそのやり方は『運用』を知らない人がやるやり方としか思えない。
運用者がリターンを得るためには一定のリスクが必要だ。
そしてリスクを取らずにリターンだけ得ることは不可能だ。
リスクを抑制すれば、リターンも減る。
運用を知っている人ならばそんなことは常識だというだろう。
しかし、多くの会社で運用を知っている人は契約ディーラーになることを選び(それだけ報酬もらえるならそれを望むのはある意味当り前だろう)、結果としてマネジメントにいる人は運用を熟知しているとは決していえない方が多くなっている(中には元ディーラーをマネジメントに引き上げている会社もあるが)。
リスクを取らせなくなり、収益が苦しいから設備投資は出来ないと新しいことへのチャレンジが出来なくなっていく。
さらにディーラーに対する監督官庁や規制当局からの締め付けは呆れるほど厳しいものになっている。
わが世の春をディーラーが謳歌していた2005年前後、中には悪質なディーラーもいて規制が強まり、監督管理において非常に高いハードルを課されるようになった。
ちなみに夜間の在宅などを禁じられたのもこの時期だ。
そうやってディーリングビジネスはある意味自業自得ともいえる形で追い込まれていく。
資金的な余裕がなくなり、リスクも取れなくなり、新しいことへのチャレンジも出来ない。
そんな状況下で実行されたのがアローヘッド(東京証券取引所の取引システムの高速化)の稼働だ。
それをきっかけにHFT(超高頻度取引)と呼ばれるコンピュータを駆使した運用をするファンドが一気に東京市場に入り込んでくることになる。
そして日系証券の多くはアローヘッド稼働のせいで儲からなくなったと口を揃えて取引所を非難した。
しかし、HFTという存在は別に2010年から生まれたものではない。
欧米市場ではすでにずっと前から生まれ、シェアを伸ばしてきていた。
彼らが東京市場に参入出来なかったのは取引所のシステムの処理能力が低く、レスポンスが遅かったためだ。
つまりそれによって海外勢の参入が妨げられていたある意味鎖国状態にあったのがその当時の東京市場の実態。
鎖国していたからちょんまげに刀でもなんとか戦えていた。
それが一気に開国されたのがアローヘッド稼働なのだろう。
アローヘッド自体は技術革新の中で当然の『進歩』だと思う。
あえて遅いシステムにしておくのはおかしな話だし、取引所のグローバル競争の中で当然の動きだ。
日系証券のマネジメント・ディーラー自身が海外市場で何が起き、技術革新が進んでいるかを知ろうとしていればもっと違ったはずだ。
アルゴリズム・トレーディング、HFT、コロケーション…そういった言葉をその時期に初めて知ったという日系証券の人は少なくない。
いずれ起きるであろうそういった変化に対して、備えることをせず、戦う準備をせず、知ろうともしていなかった時点で負けてしまうのは当り前だ。
それを後から環境の変化のせいにしてしまっても何の意味も持たない。
未来を切り拓きたいのなら、いつまでもそこに立ち止まって出来ない理由を並べていてもはじまらない。
規制や過剰な管理基準が足枷となるなら、学び、研究し、様々な人から意見を聞き、少しでも打開する道を模索しなければならない。
本来なら運用を知り、マネジメントにいれば素晴らしいだろうと思えるような先輩方も契約ディーラーになった結果、直近でパフォーマンスが落ちて解雇され、仕事につけない…そんな状況にある。
そして運用を知らず、閉鎖的な日系証券の中しか知ろうとせず、海外やファンド、外資系、商品先物…多様な世界から学ぼうとせず、狭い見識の中でだけ判断しようとするマネジメントが少なくない。
後手に回ったかもしれない。
でも若手の中にはその環境の変化に適応して自らを変えようと戦っている子たちがいる。
ロング・ショート(売り買いを組み合わせて一定期間ポジションをホールドする手法)や、ストラテジーに基づいた中長期の運用、異なる商品や夜間取引へのチャレンジ…etc。
それらをよりもっと自由に、彼らがこれなら勝てると思う手法を見つけ出すための選択肢をより多く作ってやるのがマネジメントの仕事だ(本当ならもっとドラスティックな変化があったっていいと個人的には思っている)。
しかし、その多くがマネジメントの理解や協力を得られず、アレも出来ないコレも出来ないという状態に陥ってしまう。
そしてディーラーは今や個人投資家にすら運用環境では大きく劣後している始末だ。
ある会社では社長自らが引っ張り、その扉を開こうと取り組んでいる。
その他にも苦しい中でもディーリング・ビジネスを前に進めようと頑張っている会社もある。
そして幸せなことに自分が今いる会社はそういった会社の中の1社だ。
個人金融資産が世界トップレベルにあるこの国で、資産運用ビジネスは育っていない。
アジアの中では香港とシンガポールが金融ビジネスセンターとなり、東京からは外資系も人を減らし、国内証券は低迷の一途という状況だ。
東京証券取引所の売買代金シェアは外国人投資家が6割と過半を握り、主要な先物取引である大阪証券取引所の売買代金シェアではさらに外国人投資家のシェアが高まる。
そして東京時間は市場は動かず、多くの値動きが夜間でしか生まれない。
国内市場参加者の活性化は待ったなしだ。
そしてその一翼を証券会社の自己売買部門は担う必要がある。
新しい商品が出来たとき、リスクを取って市場の育てる役割を担うのは決してマーケットメーカーではない(受動的にしかリスクを取らない)。
そしてお金もなく、経験もない若者が運用の世界にチャレンジするという意味では証券会社の自己売買部門は確かに大きな役割を担っていた。
これほど暗い状況は20年この仕事をしてきて初めてだ。
でも必ず道を切り拓かなければいけない。
そして未来の運用者達が育つ土壌を守り、(世界トップレベルの個人金融資産を持つ)日本がまた金融ビジネスの世界でもリーダーシップを取れるような未来を創っていかなければいけない。
恐らくこの3月期末にかけてが一番きつくなると以前から指摘してきた。
そしてそれは本当に残念なことだけど…現実のものとなりつつある。
こういった事態に陥ったのは日系証券自身に最大の問題がある。
2000年前あたりから広がり始めたディーラー(運用者)の契約化。
それまでは正社員ディーラーがほとんどで、10億20億と稼いでも表彰やボーナスがプラスアルファされる程度。
それが成功報酬制度の導入により、報酬の高騰化が生じ、他の部署の正社員との給与格差を許容するためにディーラーの雇用は契約化へと流れた。
初期の頃はそれでも成功報酬は20%程度だったと思う。
それがITバブル→インターネットの普及により大きく変わることとなる。
この技術革新により生じた変化。
ネット証券の台頭だ。
このインフラの変化をビジネスへと結びつけ、それまで営業マンに電話で注文するのが基本だった個人投資家にインターネットを使った即時取引の環境を提供したのが彼らだ。
そして個人投資家は手数料も安く、自らの判断で即時に売買が可能な環境へと流れていく。
それに乗り遅れた日系中小証券は口を揃えるように『富裕層への手厚いサポートを行う対面営業』を看板に掲げるが、世の中そんなに甘くはない。
結果、リテール(対個人)ではネット証券にほとんどを持っていかれ、ホール(対法人)では大手、銀行系、外資系に太刀打ちできなくなった日系中小証券はビジネスモデルを失ってしまった。
その彼らが選択したのが『ディーリング(自己売買)』。
それは決して間違いではなかった。
自分がかつて所属していた会社のディーリング部では月間で10億円以上の利益を上げたこともある(当時はそんな会社がいくつもあった)。
しかし、それを維持するためにより優秀なディーラーの獲得のために各社は成功報酬の引き上げ競争に踏み切った。
30%→40%→中には50%超まで…。
グローバルなファンド(運用会社)の一般的な常識は2%&20%(トゥートゥエンティ)と呼ばれる報酬体系だった(それも今ではさらに低下している)。
預かり資産の2%をマネジメントフィー(管理報酬)として受け取り、成功報酬はそれを差し引いたうえで資産が増加した(儲かった)分の20%。
ファンドの運用報酬がその水準だとすると、そこからオフィスのコストや人件費などが支払われることとなり、ファンドマネージャー個人の報酬はそれを大きく下回ることがザラ。
外資系証券のプロップ・トレーダー(日系証券風にいうとディーラー)の報酬は1ケタが当り前。
明らかに日系中小証券の成功報酬は異常な高さだった。
2005年、2006年あたりでは億の収入を得るディーラーが何人も出てきて、一部では地域の長者番付に名を連ねるほどだった。
しかし、そんなものは長くは続かない。
成功報酬はつまり利益のディーラーの取り分だ。
それが増えるということは会社の取り分は減る。
結果として、全員が儲かるような相場ならなんとかなったものの、難しい相場になり、損失を出すディーラーが出てくると会社の経営としては一気に赤字になっていく。
2007年以降、ほとんどの会社でディーリング・ビジネスは利益をもたらさなくなっていく。
そして『損を出すな』とマネジメントは言い始め、リスクを抑制していく方向に舵をきる。
しかし、残念ながらそのやり方は『運用』を知らない人がやるやり方としか思えない。
運用者がリターンを得るためには一定のリスクが必要だ。
そしてリスクを取らずにリターンだけ得ることは不可能だ。
リスクを抑制すれば、リターンも減る。
運用を知っている人ならばそんなことは常識だというだろう。
しかし、多くの会社で運用を知っている人は契約ディーラーになることを選び(それだけ報酬もらえるならそれを望むのはある意味当り前だろう)、結果としてマネジメントにいる人は運用を熟知しているとは決していえない方が多くなっている(中には元ディーラーをマネジメントに引き上げている会社もあるが)。
リスクを取らせなくなり、収益が苦しいから設備投資は出来ないと新しいことへのチャレンジが出来なくなっていく。
さらにディーラーに対する監督官庁や規制当局からの締め付けは呆れるほど厳しいものになっている。
わが世の春をディーラーが謳歌していた2005年前後、中には悪質なディーラーもいて規制が強まり、監督管理において非常に高いハードルを課されるようになった。
ちなみに夜間の在宅などを禁じられたのもこの時期だ。
そうやってディーリングビジネスはある意味自業自得ともいえる形で追い込まれていく。
資金的な余裕がなくなり、リスクも取れなくなり、新しいことへのチャレンジも出来ない。
そんな状況下で実行されたのがアローヘッド(東京証券取引所の取引システムの高速化)の稼働だ。
それをきっかけにHFT(超高頻度取引)と呼ばれるコンピュータを駆使した運用をするファンドが一気に東京市場に入り込んでくることになる。
そして日系証券の多くはアローヘッド稼働のせいで儲からなくなったと口を揃えて取引所を非難した。
しかし、HFTという存在は別に2010年から生まれたものではない。
欧米市場ではすでにずっと前から生まれ、シェアを伸ばしてきていた。
彼らが東京市場に参入出来なかったのは取引所のシステムの処理能力が低く、レスポンスが遅かったためだ。
つまりそれによって海外勢の参入が妨げられていたある意味鎖国状態にあったのがその当時の東京市場の実態。
鎖国していたからちょんまげに刀でもなんとか戦えていた。
それが一気に開国されたのがアローヘッド稼働なのだろう。
アローヘッド自体は技術革新の中で当然の『進歩』だと思う。
あえて遅いシステムにしておくのはおかしな話だし、取引所のグローバル競争の中で当然の動きだ。
日系証券のマネジメント・ディーラー自身が海外市場で何が起き、技術革新が進んでいるかを知ろうとしていればもっと違ったはずだ。
アルゴリズム・トレーディング、HFT、コロケーション…そういった言葉をその時期に初めて知ったという日系証券の人は少なくない。
いずれ起きるであろうそういった変化に対して、備えることをせず、戦う準備をせず、知ろうともしていなかった時点で負けてしまうのは当り前だ。
それを後から環境の変化のせいにしてしまっても何の意味も持たない。
未来を切り拓きたいのなら、いつまでもそこに立ち止まって出来ない理由を並べていてもはじまらない。
規制や過剰な管理基準が足枷となるなら、学び、研究し、様々な人から意見を聞き、少しでも打開する道を模索しなければならない。
本来なら運用を知り、マネジメントにいれば素晴らしいだろうと思えるような先輩方も契約ディーラーになった結果、直近でパフォーマンスが落ちて解雇され、仕事につけない…そんな状況にある。
そして運用を知らず、閉鎖的な日系証券の中しか知ろうとせず、海外やファンド、外資系、商品先物…多様な世界から学ぼうとせず、狭い見識の中でだけ判断しようとするマネジメントが少なくない。
後手に回ったかもしれない。
でも若手の中にはその環境の変化に適応して自らを変えようと戦っている子たちがいる。
ロング・ショート(売り買いを組み合わせて一定期間ポジションをホールドする手法)や、ストラテジーに基づいた中長期の運用、異なる商品や夜間取引へのチャレンジ…etc。
それらをよりもっと自由に、彼らがこれなら勝てると思う手法を見つけ出すための選択肢をより多く作ってやるのがマネジメントの仕事だ(本当ならもっとドラスティックな変化があったっていいと個人的には思っている)。
しかし、その多くがマネジメントの理解や協力を得られず、アレも出来ないコレも出来ないという状態に陥ってしまう。
そしてディーラーは今や個人投資家にすら運用環境では大きく劣後している始末だ。
ある会社では社長自らが引っ張り、その扉を開こうと取り組んでいる。
その他にも苦しい中でもディーリング・ビジネスを前に進めようと頑張っている会社もある。
そして幸せなことに自分が今いる会社はそういった会社の中の1社だ。
個人金融資産が世界トップレベルにあるこの国で、資産運用ビジネスは育っていない。
アジアの中では香港とシンガポールが金融ビジネスセンターとなり、東京からは外資系も人を減らし、国内証券は低迷の一途という状況だ。
東京証券取引所の売買代金シェアは外国人投資家が6割と過半を握り、主要な先物取引である大阪証券取引所の売買代金シェアではさらに外国人投資家のシェアが高まる。
そして東京時間は市場は動かず、多くの値動きが夜間でしか生まれない。
国内市場参加者の活性化は待ったなしだ。
そしてその一翼を証券会社の自己売買部門は担う必要がある。
新しい商品が出来たとき、リスクを取って市場の育てる役割を担うのは決してマーケットメーカーではない(受動的にしかリスクを取らない)。
そしてお金もなく、経験もない若者が運用の世界にチャレンジするという意味では証券会社の自己売買部門は確かに大きな役割を担っていた。
これほど暗い状況は20年この仕事をしてきて初めてだ。
でも必ず道を切り拓かなければいけない。
そして未来の運用者達が育つ土壌を守り、(世界トップレベルの個人金融資産を持つ)日本がまた金融ビジネスの世界でもリーダーシップを取れるような未来を創っていかなければいけない。