【ビジネス】続・後輩たちへのメッセージ
相場も止まっちゃったことだし…
先日書いたこと。
薩摩の教えをきっかけにこのところ社内の問題や部下のことで色々と考えていたことをただ綴ってみたんだけど。
伝わる人には伝わると思うんだけど、ちょっと思い違いをしそうなヤツがいたので…。
あの文章であえて薩摩の教えにはなかった『努力』という言葉を使い強調した。
その意味をしっかりと受け止めて欲しい。
ただ闇雲に挑戦することを肯定しているわけではないということ。
挑戦するからには成功を目指すのが当たり前。
失敗を恐れて挑戦しないよりはマシかもしれないけど、失敗を何度も繰り返すようならきっと自分に足りないものをしっかりと見据えることが出来ていないのだと思う。
結局のところ、自分に厳しく、努力を怠らず、そういった地道な積み重ねがあってはじめて挑戦は成功へとつながっていく。
ディーラーをクビになった後輩や部下たちから相談を受けるとき、いつも問いたいことがある。
『お前は本当に全力でやりきったか?』
今の部下たちに望むこと。
『全員が生き残ってくれれば最高だけど、それが非現実的な夢であることも事実。ただ淘汰されたとしても悔いを残さず、胸を張って新しい道へと進んでいけるように今を全力で頑張って欲しい。』
十分な努力もせず、知識も実績も見につけず、ただ闇雲に挑戦して結果として負け続け、それを相場のせいにしたり周囲のせいにしたりするヤツも少なくない。
これは自分が思うに、失敗を恐れて挑戦せず…よりも性質が悪い気もする。
少なくとも他人のお金でリスクを取り、損失を与える可能性があるこの仕事においては…。
他人様のお金で勝負をする以上、強い責任感を持ち、その信頼に応えられるだけの努力をするのは当たり前のこと。
これまでの部下たちの中にも『自分に甘いヤツ』は何人もいた。
どうしてもそいつらには厳しくならざるえをえないんだけど、それは自分で自分に厳しくなれないから、上司として先輩として『それじゃダメなんだ』ということを伝えなければいけなかったから。
しょっちゅう説教されるヤツには大体共通している。
自分が出来ないこと、足りないことを受け止めきれていない。
自分を信じること…これはとても大切なこと。それが自信だと思う。
でも自分の弱さを知ることはそれと同じぐらい大切なこと。
自分の弱さを知ったうえで身につけた強さは本物。
自分の弱さから目を背けたままの強さは単なる過信や強がりだったり見せかけのものであることが多い。
『無知の知』
とでもいうべきかな。
それがあって初めてスタートライン。
そしてそれを受けとめたうえで補うべく努力し(補い方はそれぞれでいいと思う。長所を伸ばすもヨシ、短所を克服するもヨシ)、強さを磨き続けて一歩ずつ本当の強さを身につけていく。
ある後輩がこの仕事を離れるときに自分に言ってくれた一言。
『オレはやれる限り限界まで頑張りました。けどダメでした。だからこれからの自分が出来ることを見つけて頑張っていきます。』
この言葉はとても嬉しく誇らしく感じられた。
挑戦して勝負には負けたのかもしれない。
でもきっとこいつは何かかけがえのないものを見つけてくれたんだな…と思えた。
きっと薩摩の教えでいう『何かに挑戦して、失敗をしたもの』ってこういうヤツのことを示しているのだと思う。
挑戦はしていけばいい。
ただそのための『努力』は忘れないで欲しい。
失敗したときに本当に自分は全力でやりきったかどうか自分に問いかけてみて欲しい。
自分を知り、引くことも勇気だと思う。
あとで愚痴ばかり言ったり、人を妬んだりするようじゃ話にならないけど。
人が目指すものはそれぞれでいい。
ハタから見れば平凡な人生でもそれを幸せと感じられるならそれはとても素晴らしいことだ。
夢見て挑戦ばかりしてロクに努力できないヤツも話にならない。
失敗には必ず理由がある。
それはほとんどの場合、自分自身の中にある。
それをしっかりと謙虚に受け止めること。
そして卑屈にならずにそれと向き合い乗り越えていくこと。
これは言葉で書くほど簡単なことじゃない。
人間ってそんなに強いものではないから。
結局のところ、自分たちに出来ることは悔いを残さないように今を全力で頑張り続けることだけなのかもしれない。
その先に成功が待っているのか、失敗が待っているのかなんて今は分からないのだから。
『何かに挑戦して、失敗をしたもの』
をどう捉えるかは人それぞれだと思う。
でもこの言葉が示しているのは
『何かに挑戦して、失敗したとしても、その挑戦に胸を張れるだけの努力をしたもの』
だと自分は解釈したい。