【日常】サイパン・ダイビングの旅(4日目)
サイパン滞在も最終日を迎えた。
スゲー感動した後だけに潜りたくてしょうがなかったが、飛行機搭乗前の18時間はダイビングは出来ない。
なんで最終日は結局フリーに…。
やることないしなぁ…と思っていたんだけど、ホテルのスタッフの西川君とスグル君のお勧めでとりあえずマニャガハ島へ。
マリン・アクティビティが色々と出来る島。
綺麗だし、サイパンでは結構みんな立ち寄る場所だから、話のネタに行っておくのも悪くないか(^^ゞ
で、一人マニャガハ島へ。
ホテルに迎えの車が来る。
で、海に行ってフェリーかなと思っていたら、迎えにきた彼がしきりに勧めてくるのがバナナボートとパラセイリング。
『オッサン一人でやる気にならねぇっての(-_-;)』
と思っていたら、話をよく聞くとフェリーの代わりにそれで島まで送ってくれるらしい。
しかも島でやるよりかなりお安く(^_-)
『オッサン一人でバナナボートも寒いけど…まぁフェリー待って時間つぶしているぐらいならとりあえずやっとくか…。』
ということで、一人でバナナボートで送ってもらってきました(^^ゞ



そして島へ。
船着き場のところにある入島料を支払うところの受付のオッサンが…

オッサン:『一人か?女は連れていないのか?』
おれ:『一人だよ。』
オッサン:『オゥ…。次は連れてこいよ。』
オレ:『(余計なお世話だ…オッサン(-_-;))』
なんてやり取りの後、島に上陸。



まぁ綺麗な島ですわ。
ビーチも混んでいるかと思えば、ちょっと裏手に回れば救護員はいないけど、一人でビーチを独占できる感じ(^^)



ガジュマル大樹。この前で写真を撮ると幸せになれるとか…。
そこでのんびりカメラを片手に写真を撮ったり、シュノーケリングしたり、音楽聴いたり、本を読んだり…のんびり過ごしました(^^)




ただ家族連れかグループ。
そんでもってカップルばっかり…。
確かに一人で来ているオレはレア・キャラ(-_-;)

さすがに長居はする気にならず、昼飯食ったら早々に引き上げてきました(^^ゞ
『さて、午後はどうしよう?』
と考えていたら、ホテルの料理人のタカさんが
『島内観光どうすか?』
と、連れて行ってくれた。
『観光』というより『戦地跡巡り』って感じかな。
最初は『Suicide Clif』。


この崖から多くの日本兵が飛び降りた場所。
その崖から『Banzai Clif』も見える。
その後、『Bird Island』に寄った。
ここは日本統治時代は『月見島』と呼ばれていたそうだ。

日本の統治は第一次世界大戦後の1914年~第二次世界大戦で敗戦する1944年までの約30年間。
1943年8月の時点での人口は日本人(台湾人、朝鮮人含む)29,348人、チャモロ人、カナカ人3,926人、外国人11人。

その後、最後の司令塔跡に立ち寄り。
ここには大砲や戦車がいくつも残されている。




そして最後は『Banzai Clif』。

慰霊碑がいくつも立ち並ぶ。
海の中にも慰霊碑があるそうだ。


サイパンの戦闘での死者は3万人にのぼる。
ここから飛び降りた兵士はそのうちの1万人とも言われている。

またここで亡くなったのは日本人だけではなく、日本人に強制的に連れて来られたであろう朝鮮人や中国人も多かったそうだ。
慰霊碑にはそういった人たちを対象としたものもある。
自分の意思や想いとは関係なく、国のために戦い、そして死んでいった人たち…。
生き方を選べる今の時代に生きていることは幸せなことだと思う。
そして生きていることをもっと大切にしていかなきゃと改めて感じた。
帰りはガラパンで降ろしてもらって、お土産もの探しと晩飯。
とりあえず時間もないのでDFSに併設されているHardRock Cafeで生演奏聴きながら晩飯済ませてきました。
ホテルに戻って荷物をまとめ、夜中の便で帰国。
そういえば…

ホテルがプチホテルってジャンルになるところなのかな。
14室限りでスタッフも少ない。
その分、スタッフとの距離が近くて楽しかった。

でね、ロケーションも最高で建物が妙に豪勢というか…。
タカさんが教えてくれました。
このホテル、建物はかの村西とおる監督が全盛期に建てたそうだ。

今は違うオーナーだそうだが、どおりで…(^^ゞ
スゲー感動した後だけに潜りたくてしょうがなかったが、飛行機搭乗前の18時間はダイビングは出来ない。
なんで最終日は結局フリーに…。
やることないしなぁ…と思っていたんだけど、ホテルのスタッフの西川君とスグル君のお勧めでとりあえずマニャガハ島へ。
マリン・アクティビティが色々と出来る島。
綺麗だし、サイパンでは結構みんな立ち寄る場所だから、話のネタに行っておくのも悪くないか(^^ゞ
で、一人マニャガハ島へ。
ホテルに迎えの車が来る。
で、海に行ってフェリーかなと思っていたら、迎えにきた彼がしきりに勧めてくるのがバナナボートとパラセイリング。
『オッサン一人でやる気にならねぇっての(-_-;)』
と思っていたら、話をよく聞くとフェリーの代わりにそれで島まで送ってくれるらしい。
しかも島でやるよりかなりお安く(^_-)
『オッサン一人でバナナボートも寒いけど…まぁフェリー待って時間つぶしているぐらいならとりあえずやっとくか…。』
ということで、一人でバナナボートで送ってもらってきました(^^ゞ



そして島へ。
船着き場のところにある入島料を支払うところの受付のオッサンが…

オッサン:『一人か?女は連れていないのか?』
おれ:『一人だよ。』
オッサン:『オゥ…。次は連れてこいよ。』
オレ:『(余計なお世話だ…オッサン(-_-;))』
なんてやり取りの後、島に上陸。



まぁ綺麗な島ですわ。
ビーチも混んでいるかと思えば、ちょっと裏手に回れば救護員はいないけど、一人でビーチを独占できる感じ(^^)



ガジュマル大樹。この前で写真を撮ると幸せになれるとか…。
そこでのんびりカメラを片手に写真を撮ったり、シュノーケリングしたり、音楽聴いたり、本を読んだり…のんびり過ごしました(^^)




ただ家族連れかグループ。
そんでもってカップルばっかり…。
確かに一人で来ているオレはレア・キャラ(-_-;)

さすがに長居はする気にならず、昼飯食ったら早々に引き上げてきました(^^ゞ
『さて、午後はどうしよう?』
と考えていたら、ホテルの料理人のタカさんが
『島内観光どうすか?』
と、連れて行ってくれた。
『観光』というより『戦地跡巡り』って感じかな。
最初は『Suicide Clif』。


この崖から多くの日本兵が飛び降りた場所。
その崖から『Banzai Clif』も見える。
その後、『Bird Island』に寄った。
ここは日本統治時代は『月見島』と呼ばれていたそうだ。

日本の統治は第一次世界大戦後の1914年~第二次世界大戦で敗戦する1944年までの約30年間。
1943年8月の時点での人口は日本人(台湾人、朝鮮人含む)29,348人、チャモロ人、カナカ人3,926人、外国人11人。

その後、最後の司令塔跡に立ち寄り。
ここには大砲や戦車がいくつも残されている。




そして最後は『Banzai Clif』。

慰霊碑がいくつも立ち並ぶ。
海の中にも慰霊碑があるそうだ。


サイパンの戦闘での死者は3万人にのぼる。
ここから飛び降りた兵士はそのうちの1万人とも言われている。

またここで亡くなったのは日本人だけではなく、日本人に強制的に連れて来られたであろう朝鮮人や中国人も多かったそうだ。
慰霊碑にはそういった人たちを対象としたものもある。
自分の意思や想いとは関係なく、国のために戦い、そして死んでいった人たち…。
生き方を選べる今の時代に生きていることは幸せなことだと思う。
そして生きていることをもっと大切にしていかなきゃと改めて感じた。
帰りはガラパンで降ろしてもらって、お土産もの探しと晩飯。
とりあえず時間もないのでDFSに併設されているHardRock Cafeで生演奏聴きながら晩飯済ませてきました。
ホテルに戻って荷物をまとめ、夜中の便で帰国。
そういえば…

ホテルがプチホテルってジャンルになるところなのかな。
14室限りでスタッフも少ない。
その分、スタッフとの距離が近くて楽しかった。

でね、ロケーションも最高で建物が妙に豪勢というか…。
タカさんが教えてくれました。
このホテル、建物はかの村西とおる監督が全盛期に建てたそうだ。

今は違うオーナーだそうだが、どおりで…(^^ゞ