【回想録】新人の頃②
『一週間でExcel使いこなせ。』
という指示は、ただスプレッドシートを使えればいいという話ではなかった。
マクロ(今でいうVBA)も含めての話だ。
当時、チーフが仲良かった他社の方がいらしてくれて、その方が作ったファイルをみせてくれた。
それはただスプレッドシートだけではなく、マクロの知識も必要な代物だった。
言われた初日に、これは会社だけでは無理と思った。
パソコン詳しい先輩に聞いて、赤いカードのキャッシングでお金を借りて、秋葉原でパソコンを買う。
先輩が割安だと教えてくれたマシンは『マハポーシャ』。
しばらく経って知ったが、オウム真理教のマシンだった…(-_-;)
会社でも家でもパソコンの勉強。
一週間で寝たのは数時間。
キツイとかいうレベルではなかった。
でも一つ特技が出来た。
今でもそうだが、いつでもどこでもすぐに寝れること。
10分寝ればしばらく集中力を保てるレベルまで回復できること。
でも全く余裕はなかった。
当時は先輩たちから見たら、可愛げもなく付き合いも悪い後輩だったと思う。
飲みにいくにしても金がないから、奢ってもらえるときしかいけない。
それ前提も申し訳ないし、正直そんな余裕はないからほとんど断っていた。
昼飯すらいく金がないときが多かった。
でも金がないと言うと気を使わせてしまうから、『ちょっとやることあるんで…。』と断ることが多かった。
ほとんどが本代で消えていた。
1000円、2000円の本ですら、当時の自分にとってはきつかった。
でも必要だから買っていた。
ノートPCは親父からお古をもらった。
親にもずいぶん助けてもらった。
今、思えば自転車との出会いも親父がきっかけを作ってくれた。
そして本を読む力を与えてくれたのはお袋だった。
小学生の頃から、いっぱい本を読ませてくれた。
いい本があれば、買ってきてくれて、片っぱしから読んでいた。
自分がこのプレッシャーを乗り越える力になったものは両親が与えてくれたものだったと思う。
学生時代、散々迷惑かけたし、心配もかけたけど(^^ゞ
ペーペーなんで、事務作業も結構多い。
今のように売買が終わったら、それでお終いなんてことはない。
伝票を一枚一枚照合する。
ズレがあったりしたら、エライ時間をかけて問題点を探す作業をしなければならない。
裁定取引なんてやろうものならさぁ大変。
225銘柄を買う。
一つ一つの銘柄について約定値段をExcelに手入力していって、ようやく日経平均株価をいくらで買えたか判明する。
それに関する事務作業もある。
他にも先物・オプション市場に関する資料などの作成もやっていた。
なんだかんだとペーペーとしての仕事をこなしながら、自分のトレードもし、そして勉強。
トレードの方は基本的には順調にいっていた。
先物1枚だったが、すぐに100万~200万程度の利益は上げられるようになっていた(当時はボラがあったから)。
ただ一度、大きな失敗をした。
為替(ドル円)が初めて100円を割り込んだ日にオーバーナイト・ロング(買い持ち)にしてしまったのだ。
翌朝、日経平均先物は売り気配でスタート。
▲500円安で寄りつく。
たった1枚で50万円もの損失。
目の前が真っ暗になったし、自分の月給の何倍もの損失額に怖くなった。
そしてチーフにお目玉くらった…。
ただ前日の引け間際、1枚買いを投げようと2回ぐらいチーフに『注文お願いします。』と言ったんだけど…。
当時は、取引所との電話を通じて売買を行っており、その電話はチーフが持っていた。
つまり自分の売買も全てチーフを通じて発注しなければならなかった。
相場が荒れている中、チーフは熱くなっていた。
最初はシカト。
2回目は『あ?』と聞き返されて、注文言おうと思った瞬間に相場は引けていた。
当然、強く言うべきだったし、ビビってる自分が悪い。
その損失は生涯忘れないだろう(ヤラレに関してはそういうのがいくつかある)。
自分に相場の怖さを最初に教えてくれたから損失だから。
チーフの怖さよりも、相場の方がよっぽど怖い。
次からは怒鳴り返してでも注文出してもらおうと誓った…(^^ゞ
でもその月も利益で終わることが出来た。
全体としてトレード自体は順調にいっていたし、数字は伸び続けていた。
月間マイナスは若手の頃は出した記憶がない。
パソコンのスキルもどんどん上達していった。
あれだけやれば当たり前っちゃあ当たり前だが…(^^ゞ
1ヶ月後には、マクロも書きこなしていた。
マクロは資料作りの効率化、事務作業の効率化にも応用できたから、結果として自分の時間をより増やすことが出来るようにもなった。
そしてオプションについても相当な勉強をした。
当然、ある程度の数学的知識は必要になる。
数学は苦手だった。
だから中学校の参考書買ってきて、そこから始めた。
半年後にはジョン・ハルが書いた『フィナンシャル エンジニアリング』という本が当時の自分にとってのバイブルになった。
つまり、この本を読みこなすレベルまでは到達していた。
最近、ブログで紹介したオプションのリスク・パラメータなどはこの時期に書いたものがほとんどだ。
マクロで色々と作っている自分を後ろからチーフが見て
チーフ:『お前、よくそこまで出来るようになったな!』
すげぇ嬉しかった。
あまりのプレッシャーに憎らしいとすら感じることがあったチーフだが、認めてもらえた喜びの方が圧倒的に大きかった。
ただその言葉の後に
チーフ:『オレ、出来ないんだよね。』
(え、このチームは全員この程度は出来るんじゃなかったんですか…?)
口には出さなかったが、心の底から
『えーーーーーっ。』
と思った瞬間だった(>_<)
という指示は、ただスプレッドシートを使えればいいという話ではなかった。
マクロ(今でいうVBA)も含めての話だ。
当時、チーフが仲良かった他社の方がいらしてくれて、その方が作ったファイルをみせてくれた。
それはただスプレッドシートだけではなく、マクロの知識も必要な代物だった。
言われた初日に、これは会社だけでは無理と思った。
パソコン詳しい先輩に聞いて、赤いカードのキャッシングでお金を借りて、秋葉原でパソコンを買う。
先輩が割安だと教えてくれたマシンは『マハポーシャ』。
しばらく経って知ったが、オウム真理教のマシンだった…(-_-;)
会社でも家でもパソコンの勉強。
一週間で寝たのは数時間。
キツイとかいうレベルではなかった。
でも一つ特技が出来た。
今でもそうだが、いつでもどこでもすぐに寝れること。
10分寝ればしばらく集中力を保てるレベルまで回復できること。
でも全く余裕はなかった。
当時は先輩たちから見たら、可愛げもなく付き合いも悪い後輩だったと思う。
飲みにいくにしても金がないから、奢ってもらえるときしかいけない。
それ前提も申し訳ないし、正直そんな余裕はないからほとんど断っていた。
昼飯すらいく金がないときが多かった。
でも金がないと言うと気を使わせてしまうから、『ちょっとやることあるんで…。』と断ることが多かった。
ほとんどが本代で消えていた。
1000円、2000円の本ですら、当時の自分にとってはきつかった。
でも必要だから買っていた。
ノートPCは親父からお古をもらった。
親にもずいぶん助けてもらった。
今、思えば自転車との出会いも親父がきっかけを作ってくれた。
そして本を読む力を与えてくれたのはお袋だった。
小学生の頃から、いっぱい本を読ませてくれた。
いい本があれば、買ってきてくれて、片っぱしから読んでいた。
自分がこのプレッシャーを乗り越える力になったものは両親が与えてくれたものだったと思う。
学生時代、散々迷惑かけたし、心配もかけたけど(^^ゞ
ペーペーなんで、事務作業も結構多い。
今のように売買が終わったら、それでお終いなんてことはない。
伝票を一枚一枚照合する。
ズレがあったりしたら、エライ時間をかけて問題点を探す作業をしなければならない。
裁定取引なんてやろうものならさぁ大変。
225銘柄を買う。
一つ一つの銘柄について約定値段をExcelに手入力していって、ようやく日経平均株価をいくらで買えたか判明する。
それに関する事務作業もある。
他にも先物・オプション市場に関する資料などの作成もやっていた。
なんだかんだとペーペーとしての仕事をこなしながら、自分のトレードもし、そして勉強。
トレードの方は基本的には順調にいっていた。
先物1枚だったが、すぐに100万~200万程度の利益は上げられるようになっていた(当時はボラがあったから)。
ただ一度、大きな失敗をした。
為替(ドル円)が初めて100円を割り込んだ日にオーバーナイト・ロング(買い持ち)にしてしまったのだ。
翌朝、日経平均先物は売り気配でスタート。
▲500円安で寄りつく。
たった1枚で50万円もの損失。
目の前が真っ暗になったし、自分の月給の何倍もの損失額に怖くなった。
そしてチーフにお目玉くらった…。
ただ前日の引け間際、1枚買いを投げようと2回ぐらいチーフに『注文お願いします。』と言ったんだけど…。
当時は、取引所との電話を通じて売買を行っており、その電話はチーフが持っていた。
つまり自分の売買も全てチーフを通じて発注しなければならなかった。
相場が荒れている中、チーフは熱くなっていた。
最初はシカト。
2回目は『あ?』と聞き返されて、注文言おうと思った瞬間に相場は引けていた。
当然、強く言うべきだったし、ビビってる自分が悪い。
その損失は生涯忘れないだろう(ヤラレに関してはそういうのがいくつかある)。
自分に相場の怖さを最初に教えてくれたから損失だから。
チーフの怖さよりも、相場の方がよっぽど怖い。
次からは怒鳴り返してでも注文出してもらおうと誓った…(^^ゞ
でもその月も利益で終わることが出来た。
全体としてトレード自体は順調にいっていたし、数字は伸び続けていた。
月間マイナスは若手の頃は出した記憶がない。
パソコンのスキルもどんどん上達していった。
あれだけやれば当たり前っちゃあ当たり前だが…(^^ゞ
1ヶ月後には、マクロも書きこなしていた。
マクロは資料作りの効率化、事務作業の効率化にも応用できたから、結果として自分の時間をより増やすことが出来るようにもなった。
そしてオプションについても相当な勉強をした。
当然、ある程度の数学的知識は必要になる。
数学は苦手だった。
だから中学校の参考書買ってきて、そこから始めた。
半年後にはジョン・ハルが書いた『フィナンシャル エンジニアリング』という本が当時の自分にとってのバイブルになった。
つまり、この本を読みこなすレベルまでは到達していた。
最近、ブログで紹介したオプションのリスク・パラメータなどはこの時期に書いたものがほとんどだ。
マクロで色々と作っている自分を後ろからチーフが見て
チーフ:『お前、よくそこまで出来るようになったな!』
すげぇ嬉しかった。
あまりのプレッシャーに憎らしいとすら感じることがあったチーフだが、認めてもらえた喜びの方が圧倒的に大きかった。
ただその言葉の後に
チーフ:『オレ、出来ないんだよね。』
(え、このチームは全員この程度は出来るんじゃなかったんですか…?)
口には出さなかったが、心の底から
『えーーーーーっ。』
と思った瞬間だった(>_<)