【日常】京都・大阪一人旅~幕末・維新の史跡を巡る(写真追加)
今日は朝早く起きて少し嵐山を散策する。
竹林も渡月橋も昨日は人が多すぎて、ゆっくり写真を撮れなかった。
なんで早朝のうちに撮っておきたかったから。
今日はある程度プランを考えて動く。
昨晩、トルコで出会った方からブログを通じてアドバイスをいただいた。
『新撰組ゆかりの地めぐり』はどうかと。
坂本龍馬ゆかりの地をめぐりたいと思っていたところにこのアドバイス。
今日の目的は決まった。
最初に行ったのは新撰組ゆかりの地である壬生。
新撰組はこの地で生まれた。
1863年2月23日、234名の集団が京へ入る。
『浪士隊』
その10年前、浦賀にペリーが来航する。
それを期に尊王攘夷運動が活発になり、治安が悪化した京。
そんな中で徳川家茂将軍の入洛警護を目的に結成された組織だ。
江戸で人を集め、脱藩者、浪士、農民、ヤクザ、儒者…様々な人間が混在する組織だった。
彼らが京で分宿したのが壬生の屯所。
しかし、そのリーダーであったはずの清河八郎が全隊員に向けて『この浪士隊の真の目的は天皇の警護にある』と宣言する。
将軍の警護であったはずの浪士隊。隊士からの反発、そして京都守護職の会津藩主・松平容保の耳にも入り、浪士隊は江戸へ戻ることとなってしまう。
そのとき京に留まることを選んだ者たちがいる。
試衛館出身者を中心とした近藤グループ
近藤勇、土方歳三、沖田総司、山南敬助、永倉新八、原田佐之助、籐堂平助、井上源三郎
水戸藩士中心の芹沢鴨グループ
芹沢鴨、新見錦、平間重助、野口健司
の13名。
彼らが屯所としたのが八木邸。
ここで新撰組は生まれた。
『八木邸』
発足当初、局長は芹沢鴨だった。
水戸藩士であり、武士であった芹沢。剣の腕もたち、読み書きも達者だった。農民出身である近藤は副局長にとどまっていた。
しかし、芹沢は酒乱であり、かなりの乱暴者。
祇園や島原の花街で連日のどんちゃん騒ぎ。
商人には無理やり借金をしながら踏み倒す。
借金を断れば腹いせに放火するなど、その素行はかなりひどかったようだ。
新撰組の後見人であった会津藩主・松平容保は近藤勇ら試衛館派に対し、芹沢の粛清を命じる。
その日、新撰組は島原の角屋で宴会をする。
その席で散々飲まされた芹沢ら水戸藩士グループ。
写真は彼らが宴席で見た角屋の庭園だ。
角屋の廊下。ここを新撰組の面々のみならず幕末の志士たちが通った。
角屋に残る刀傷
そして酔っぱらった彼らは八木邸に帰り、そこで近藤・土方らに暗殺される。
八木邸には刀傷なども残されている。
『壬生寺』
新撰組が境内で訓練を行い、かなり迷惑をかけた寺。
壬生塚には芹沢鴨の墓がある。
『光縁寺』
山南敬助ら新撰組隊士の墓、そして沖田総司縁の女性の墓がある(氏名も戒名もないが、沖田の恋人の墓ではないかと言われている)。
午前中に新撰組ゆかりの地を巡り、昼は祇園の京懐石でランチ。
そこから坂本龍馬ゆかりの地へ。
新撰組が京に入った年、坂本龍馬は松平春嶽、勝海舟の働きかけによって脱藩の罪を赦免されている。これを機に龍馬はより活発に動き、多くの人との出会い、そして維新の立役者へとなっていく。
円山公園に上がるとそこには坂本龍馬と中岡慎太郎の銅像がある。
この二人こそ薩長連合の立役者だった。
円山公園の藤
そこからしばらく歩く。
『維新の道』と呼ばれる坂を登る。
そこを登りきった場所に二人の墓がある。
その墓所には数多くの幕末の志士たちの墓がある。
木戸孝允(桂小五郎)、高杉晋作、久坂玄瑞…。
その後、霊山歴史館に立ち寄る(幕末維新に関する歴史資料館)。龍馬の命を絶ったとされる脇差しがあったり、新撰組に関する史料も数多く展示されていた。
維新の道の裏手に『龍馬坂』と呼ばれる道がある。
ほとんど人は通らない道。
龍馬の葬列が通った坂。
龍馬坂より撮影
結構、いい時間になってしまった。
日が暮れようとしている。
そこから近くにある清水寺で今日は終了。
清水寺の夕景。
子供の頃から、日本史が好きだった。
その中でも一番好きな時代がこの頃。
特に仕事をするようになってから、よりこの時代が好きになった気がする。
龍馬が亡くなったのは1867年(33歳)。この国の未来を憂い、脱藩してまで必死に動き出したのはその5年前のこと。
近藤勇が亡くなったのは1868年(35歳)。上洛したのはその5年前。
二人とも若い。
そして懸命に生きて、わずか5年の間に歴史で語られるほどの事を成した。
立場は違っていたが、どちらが正しい、間違えているということが重要なのではなく、自分の信念を貫いた人たちだと感じさせてくれる。
この時代を生きた人たちから伝わってくる熱気。
黒船来航から始まった日本の変革期。
欧米列強国が様々な国を植民地化する中で、日本はそうならなかった。
そんな彼らの日本を思う志の強さや熱さが、日本を守ったように思える。
彼らの短くも熱い生き様は、多くの感動を呼ぶのだろう。
だからこそ今でもこれほど語られる。
今の自分は現在を懸命に生きているか?
その時代を感じながら、色んなことを考えさせられたな。
もっともっと頑張らなくちゃ。