【ビジネス】稼ぎ方はそれぞれ
自分はオプション・ディーラーがスタートだった。
まだ新入社員の頃、パソコンも触ったことなくて、数学も大の苦手(>_<)
二浪一留の落ちこぼれ…。
回想録で書いたような理由で先物・オプション課に配属され、出社二日目で上司から「デルタ」だ「ベガ」だ「ガンマ」だ…と説明されたがチンプンカンプン…(@_@)
本音を言えば、
『俺、無理かもしれない…。』
と思っていた。
当然、周囲もそう見ていた。
自分の前に8人ほどそこに異動で来ては切られるということが続いていたらしい。
ただ自分から諦めるのは嫌だった。
結果ダメでも、自分でやりきったと思えないままダメになるのは嫌だった。
その辺は自転車競技(ロードレース)を通じて身についた考え方かな。
おかげで浪人・留年とダメダメな学生時代だったけど、決して身体の大きくない自分が人の何倍も練習して、大会で優勝したりできた。
『俺でも出来るんだ。』
そう自分の可能性を信じられるようになったのはコイツのおかげだった。
だから必死に頑張った。
そしてオプション・ディーラーとしてそれなりのリターンを上げられるようになりつつあった。
ちなみにその頃の基本戦略はショート・ガンマ。
オプション(ボラティリティ)を売るやり方だ。
ストラドルやストラングルでポジションを組成し、それを価格の変化とともにデルタヘッジしながら、その山を動かしていく。
このポジションは値動きが敵になる。
阪神淡路大震災やベアリングス・ショックを乗り越えて儲けていたからそれなりに適応できていたんだと思う。
その後、新興市場(当時の店頭市場)主体に学び、個別株中心、先物中心とディーラーとして経験し、個別株でもロング・ショートやテクニカルベースのバスケット運用(運用期間が決して長くはないので、ファンダメンタルズではあまりやらなかった。ファンダはあくまでユニバース決める際の判断材料として使っていた)。
ITバブルにかけては現物株がほとんど。
だってそっちの方が儲かったから(^^ゞ
その時期、TOPIX先物ディーラーはまだしも225先物ディーラーは退屈このうえない日々を送っていた。
光通信やソフトバンクの急騰を横目にしながら、225非採用であるために指数は全く動かない…。
その後、ITバブルが崩壊し、そして現物株の売りに対する価格規制などが導入されていく。
自分はそのプロセスで先物主体に再度シフトした。
その後、アイザワ証券ではほぼ完全に先物ばかりをやっていた。
ディーラーとしてはかなり色々な運用を経験してきた方だろう。
しかし、それでもファンドの世界を垣間見ただけで、驚くような稼ぎ方をしている連中に出会い、ショックを受けた。
最近、感じることがある。
地場証券の運用手法といえば『板張り』と言われる。
かつてはそんなことはなかった。
裁定取引すらやっていたのだから。
若い子を中心に現物ディーラーとして入ってきたディーラーの多くが『板張り』がほとんど。
よほどのセンスや需給を仕切れるぐらいの力があれば、それでもいい。
『板張り』も立派な運用手法だと自分は信じているから。
でも儲からなくなってきたことを『アローヘッド』のせいだと言う板張りディーラーは多い。
そこに自分は首をかしげる。
システム高速化やHFTの台頭は、板張りなどの瞬間的な短期運用に一番ネガティブな影響を及ぼす。
なのにその『板張り』から離れようとせず、新しい手法やタイミングを研究せず、ただ同じことを続けてアローヘッドに文句を言う。何故、自分を変えようとしないのか?
稼ぎ方は一つじゃない。
様々な手法やアプローチがある。
板張りもその一つだが、周りがやっていることをただやっていていいのだろうか?
新しいことへの挑戦は勇気がいることだが、それが出来なければ長く生き残ることはできないだろう。
相場は常に変化する。
アローヘッドやJ-GATEもその一つ。
90年代と2010年までの10年、そしてこれからの10年…市場は変化し続けていくだろう。
それに対応し、生き残っていくためにはもっと視野を広げて、その変化に対応する努力を怠らず、自分を相場に合わせていかなければならない。
その変化を妨げているのはディーラー自身でもあるが、証券会社にも問題がある。硬直的かつ保守的な管理体制の下、新しいことへのチャレンジを許容されない現実がそこにはある。
何故、もっと稼ぎやすい環境を作るために積極的に動き、考えないのか?
自主廃業に追い込まれる地場証券が出始めている。
ディーリング部縮小や撤退も相次いでいる。
そんなときだからこそ、今変わらなければいけないのだが…。