【回想録】新しい道へ…6
ファンド立ち上げを前倒しで進め、それも日本でやるということを投資家と話し合って決めた。
シンガポールに渡ってわずか4ヵ月程度の間に起こった出来事だった。
半年以上は居住してないと税金とか思いっきり損するんだけど…あと2カ月程度先延ばしにしたかったんだけど…しかたないね(^^ゞ
2月~3月には一定期間日本に滞在し、ブローカーとの最終的な調整やオフィスの準備、会社の登記やケイマンでのファンド(LP)の設立などを投資家のサポートを得ながら進め、時間は慌ただしく過ぎていった。
そして4月。
自分たちの夢や目標を実現を乗せた『アクシア・トレーディング』は立ち上がった。
メンバーは自分にとって『最高』と信じるに足る仲間だった。
1人はH証券で実績を積み、ディーリング本部長までやっていた男。運用成績も自分が過去に2億超の利益を上げた月に4億超の利益を上げており、もっとも爆発力のあるプレーヤーだった。
もう一人はM証券からの参加。勝率はNo.1。月間ベースでほとんど負けない(勝率は95.2%)。月次の最大損失が▲247万円に過ぎないのに対し、最大利益は1億円という非常に安定したプレーヤー。
自分の勝率は86%で、最大利益が2億超。最大損失が▲6486万円であったことを考えると彼の安定性はスゴイ。
野球で例えるなら、打率は2割台だけどホームランを50本以上打つプレーヤーと、ホームランはそれほど打たないけど4割以上を打てるプレーヤー、そして自分がその真ん中(良く言えば3割30本という感じ?)。
そして全員が経験豊富な苦しい局面も乗り越えてきた仲間たち。
このメンバーでうまくいかなかったら『しゃあない』と思える面子だった。
そしてコンプライアンス担当者として、投資家の経営するグループで仕事をしていた人に入ってもらった。自分が運用に集中するために、バック回りを固めてくれる人が必要だったから。
その4名で『アクシア』はスタートした。
4月~5月はトレーディング環境の整備などもあり、実際の運用開始は6月。
個人としては相場から久しく離れていたことが不安要素だったが、最高の仲間を得て、あとは『やるしかない』。
社長として、ビジネスサイドをやっていることを運用者としてうまくいかない言い訳には出来ない。
運用準備期間中も勘を取り戻すことに必死だった。
実績十分、タイプの違う3人。
このうち2人がうまくテイク・オフ出来ればイケる…そしてその可能性は低くはない。そう信じていた。
シンガポールに渡ってわずか4ヵ月程度の間に起こった出来事だった。
半年以上は居住してないと税金とか思いっきり損するんだけど…あと2カ月程度先延ばしにしたかったんだけど…しかたないね(^^ゞ
2月~3月には一定期間日本に滞在し、ブローカーとの最終的な調整やオフィスの準備、会社の登記やケイマンでのファンド(LP)の設立などを投資家のサポートを得ながら進め、時間は慌ただしく過ぎていった。
そして4月。
自分たちの夢や目標を実現を乗せた『アクシア・トレーディング』は立ち上がった。
メンバーは自分にとって『最高』と信じるに足る仲間だった。
1人はH証券で実績を積み、ディーリング本部長までやっていた男。運用成績も自分が過去に2億超の利益を上げた月に4億超の利益を上げており、もっとも爆発力のあるプレーヤーだった。
もう一人はM証券からの参加。勝率はNo.1。月間ベースでほとんど負けない(勝率は95.2%)。月次の最大損失が▲247万円に過ぎないのに対し、最大利益は1億円という非常に安定したプレーヤー。
自分の勝率は86%で、最大利益が2億超。最大損失が▲6486万円であったことを考えると彼の安定性はスゴイ。
野球で例えるなら、打率は2割台だけどホームランを50本以上打つプレーヤーと、ホームランはそれほど打たないけど4割以上を打てるプレーヤー、そして自分がその真ん中(良く言えば3割30本という感じ?)。
そして全員が経験豊富な苦しい局面も乗り越えてきた仲間たち。
このメンバーでうまくいかなかったら『しゃあない』と思える面子だった。
そしてコンプライアンス担当者として、投資家の経営するグループで仕事をしていた人に入ってもらった。自分が運用に集中するために、バック回りを固めてくれる人が必要だったから。
その4名で『アクシア』はスタートした。
4月~5月はトレーディング環境の整備などもあり、実際の運用開始は6月。
個人としては相場から久しく離れていたことが不安要素だったが、最高の仲間を得て、あとは『やるしかない』。
社長として、ビジネスサイドをやっていることを運用者としてうまくいかない言い訳には出来ない。
運用準備期間中も勘を取り戻すことに必死だった。
実績十分、タイプの違う3人。
このうち2人がうまくテイク・オフ出来ればイケる…そしてその可能性は低くはない。そう信じていた。