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【雑感】2022年に向けて思うこと

新年あけましておめでとうございます。
2022年相場も始まりましたね。
昨年12月は転居やら、新しい案件やらの取り組みが重なり、個人的にはそれはもう必死の状態で…。
朝から晩までプログラム書いたりで、キーボード打ち込み過ぎて腱鞘炎気味になってしまいました。
それでもクリスマス前にようやく一段落ついて、なんとか年末年始はゆっくり過ごせた感じでした。

2011年に現在のグループ会社である地場証券に入社して、その面接の席でお話したこと。
「若い世代、新しい時代に適応した運用者の育成に真剣に取り組み、その先にシンガポールや香港などに拠点を作り、彼らが成長した先のステージを作る」
これがようやく実現したのが2019年でした。

自分自身、運用者(証券ディーラー)として20数年間マーケットと向き合ってきました。
落ちこぼれだった自分が、人との出会いによって蜘蛛の糸のようなチャンスをもらい、新卒で運用の仕事に巡り合いました。これは本当に「運」だったと思います。
運用の仕事をやりたいから証券会社に入ったわけでもなかったし、当時新卒最年長で学歴・成績ともに恥ずかしいような状態で、学部も学科も経済なんて全く関係ない。
そんな自分が証券会社でデリバティブの部署にいきなり配属されて、先物やオプションディーラーとしてチャンスを与えてもらったこと。後に色々な方からなんで自分が選ばれたのかは教えていただく機会はありましたが、今にして考えても「蜘蛛の糸」だったと思います。

たった50万円の損失で目の前真っ暗になったような新人時代。
でも緊張感があり、容易に予測なんてできないマーケット相手のこの仕事にワクワクし、夢中になりました。
そこからはただ必死に努力し、知らないことは調べ、学びました。
(今となっては時代遅れ気味の)プログラミングスキルも、数学なんかの知識も、当時片っ端から本を買って読み漁り、就職してから身につけたものです。

そしてそれなりにこの業界で夢を追いかけ、自分でも想像しなかったような経験もできました。
2000年代後半、「地場証券ディーリングはこのままではダメになる」という思いから、色々と足掻き、もがいて、シンガポールに渡ったり、小さいなりにヘッジファンドを設立したりと様々なチャレンジもしてきました。その過程では沢山の失敗や挫折も経験してきています。

そして地場証券ディーリングは、当時想像していた通り、みるみるうちに絶滅危惧種になっていってしまいました。我が世の春のような状態だったのは2005年~2006年ぐらいまででしたね。

その頃すでに欧米市場では急速に市場シェアを伸ばしていたHFTという存在。
管理側もディーラー側も思考停止状態のまま、うまくいっているからと短期売買に傾注し、オーバーナイトリスクも取ることがままならず、日計りに依存していた地場証券ディーリング。
それを守っていたのは奇しくも取引所の執行システムの遅さでした。
かつては経済統計が出る度に(機械受注とか)数分以上の遅延が起きるようなシステムの遅さ。
こんなインフラでは目にも見えないような速度での執行が必要なHFTはとても入ってこれない。
それが参入障壁となり、旧態依然とした短期売買依存の状況が維持できていました。

アローヘッドの稼働とともに、その時代は終わりを告げ、その変化に適応しなければ生き残れない時代に入っていきます。
もちろんそれでも短期売買で稼げているディーラーもいます。そんな彼らは一昔前の環境であればもっと楽に稼げていたでしょう。しかし、全体として隙間がなくなり、環境の優位性も失われ、よほど高い能力がなければ安定して勝つことは難しくなっていきました。
結果、全体的な収益は低迷し、赤字に陥るディーリング部も続出し、どんどん閉鎖・撤退が相次いでいくような状態になっていったのです。

営業も同じだと思います。
ネットでなんでもできる時代。
時代に適応し、在り方を変え、顧客に求められる存在にならなければ生き残れない。
産業革命で消える側になるのか、それを飛躍の機会に出来る側になるのか。

管理もディーラーも時代の変化に合わせて変わっていかなければ組織自体が生き残れない。
そのためにも新しい時代に適応できるように若い世代の運用者を育成することの大切さ。

そしてその運用者の未来を創ること。
これが自分がずっと志してきたものです。
稼げるようになったディーラーが、いつまでもその会社に留まってくれる保証はありません。
地場証券が一人の運用者に与えられるリスク(運用資産額)には限りがある。
そこにいてもそれ以上ポジションが増えない。
かなりの高収入ではあっても、ずっとそれをただ続けていくことへの疑問が生じてくる。
そのレベルまで到達した人材は、向上心も高く、成長への欲求も強い人材です。
自分自身もそう思っていましたが、「満足」したところが自身のピークになってしまう。

結果、自分達の世代はトップディーラーの何人かは、シンガポールや香港などで自分でヘッジファンドを立ち上げるか、大手プラットフォームに引き抜かれて次を目指していきました。

そしてそういった中核プレーヤーをただ失ってしまったディーリング部は弱体化し、次の人材を育てられていない組織は弱り、消えていく。
次世代の運用者の育成を本気で取り組んで継続していると、ちゃんと次の主役が出てくるものです。野球でもサッカーなどの競技でもそうですよね。
人材の育成を真剣にやればやるほど、必ず成長した人材は地場ディーリングという箱には収まらなくなっていく。
その人材をただ失うのではなく、その人材の次のステージを共に創り、運用ビジネス自体を発展させていくこと。そしてその人材が抜けても、次の主役が生まれ出るような人材育成を真剣に取り組み続けること。これが大切なのだと考えてきました。

そしてもう一点。
地場証券のディーリングは、会社のお金を使って運用し、利益を出すことを目的としてきました。
でも証券界の一翼を担う存在として、自分はそれでは足りないと思っていました。
存在意義を再定義し、世の中に必要とされる存在になっていくこと。これは個人であれ、組織であれ、とても大切なことだと思うのです。

ボルカールール以降、かつては多くのヘッジファンドマネージャーを輩出していた外資系のプロップ(自己売買部門)はその在り方を大幅に制約されることになりました。
そのルールの影響下にはない地場証券だからこそ出来ること。
かつての自分と同じように、まだ若く、運用経験もない、あるのは運用者になりたいという想いと貪欲さだけ、といった人材にも積極的にチャンスを与え、運用者になる道を拓くこと。一つでも多くの「蜘蛛の糸」を垂らしたいと願ってきました。
そして運用者として、実際のマーケットで経験と実績を積む機会を作り、そこで運用者を育成し、資産運用の担い手(ファンドマネージャー)として世に送り出す。

ヘッジファンド業界においても、新しいタレントがなかなか出てこず、大手プラットフォームからの引き抜き圧力に常にさらされ、業界内で優秀な運用者を引き抜き合うようなことが続いています。
かつての地場証券で見た光景と似ている気がしています。

業界の発展のためには、裾野を広げ、新しい時代を担うタレントを一人でも多く生み出し、土台から活性化させていく必要がある。
その一つの在り方として、地場証券ディーリングの存在意義を再定義すること。
未経験者にも運用者になる機会を与え、未来の資産運用の担い手を育てるという役割。

これがちゃんと形になった時、地場証券ディーリングはもう不要の存在ではなくなり、運用業界に必要な一つの存在として改めて認知してもらえるのではないかと思うのです。

自分は運用者としては過去の存在です。
でもこの世界で夢を見させてもらい、自分なりに納得のいく運用者人生を送ることができました。
だからこそ今の運用者や、未来の運用者のために、自分が出来ることをやり続けようと思うのです。
かつての自分がマーケットと向き合い、ワクワクしながら(辛いことも沢山ありましたけど)、この仕事と向き合ってきたように、今の後輩たちがこの仕事を楽しみ、夢中になり、そして誰か(投資家)の役に立てるようになってくれたら最高です。
そしてそんな彼らの姿が今の自分にとってのモチベーションでもあります。

想像もしなかったようないいスタートがきれた2019年。
様々なタイミングの悪さもあり、コロナ禍で思わぬ危機に陥った2020年。
そこから立ち直り、前を向ける状況になった2021年。
そしてこの2022年、後輩達とともに着実に前に進む一年にしたいと思います。

本年もよろしくお願いいたします。



プロフィール

tetsu219

Author:tetsu219
元証券ディーラーです。
二十数年ディーラーやって、シンガポールにも一時期行ってヘッジファンドを立ち上げてみたりと色々やってきて、とある証券会社でディーリング部長になり、今はシンガポールでヘッジファンドの設立・経営をやっています。

基本仕事ネタです。
更新は気が向いたときだけ(^^;
でもこのブログを通じて運用を志す若い世代の人たちに何か伝えられること、その一助になればと思っています。

初期は限定記事にしていましたが、今は開き直って全部公開にしてますのでお気軽に(笑)

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