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【業界・仕事】みんなのこれから

日本への一時帰国から戻ってからのこの一カ月弱、すっかりマクロマンになっていました。
新しいブローカーさんとの取引開始に向けて、オペレーション周りだったり、リコンサイルプロセスをしっかりと確立させるためにも結構書かなきゃいけないプログラムが多くって…。

とてもCIO&CEOという肩書の人間がやることじゃなさそうだけど、まだ少人数の組織なもんで、出来る人が効率的にやっていかないと回らない。
それもだいぶ先行して取り組んできたおかげで時間的には少し余裕ができました。
色々と思うところがあったので、久しぶりに(SG入国のプロセスなどは別にして)ブログを書いてみます。


「組織」と「個人」
これって本当に難しい。
「組織」をマネジメントする立場にいる人が見ている景色と、「個人」がそれぞれの立場や思いで見ている景色は違う。
それは違って当たり前のものだし、それは立場も、生きてきた道筋も、見てきたものも、経験も違うのだから違って当たり前。

だからこその「コミュニケーション」。
日常からくだらない会話をしたり、たまには飲みにでもいきながら、現在の問題や、将来のことについて形あったりする時間。
それが目には見えない信頼関係や繋がりを強めてくれていた。

それをコロナは奪ってしまった。
確かにオンラインで「ミーティング」は出来る。
でもそれは議題があったり、もっと事務的な内容になってしまいがち。
結果として、日常的なコミュニケーションの中で培われる信頼関係や相互理解が不足してしまう。

ようやくwithコロナ、afterコロナが視野に入ってきた。
来年はそういった時間を取り戻すことができるようになることを強く願っています。


「個人」にはそれぞれの生活や人生、未来、夢がある。
そのために最適と思われる「組織」を選んでそこにいる。
強制されてそこに属する必要もないし、それは「個人」の選択の自由として守られるべきものだ。

ただマネジメントの立場に立つと、その人間は「個人」の都合だけではなかなか動けなくもなる。
自分も実はシンガポールのこの場所にいる予定ではなかった。
バックオフィスの経験もなく、営業経験もない。グローバルで見れば無名の地場証券しか経験のない自分。さらには英語も苦手な自分が、シンガポールに来てヘッジファンドの設立からマネジメント、マーケティングや様々なオペレーションまでカバーしてこなすなんて想像もできなかったし、もっと適任がいると思っていた。「このプロジェクトは外資系出身者とか、ヘッジファンド経験者とか、もっと適した人にお任せした方がいいのでは…」と自分では考えていた。そのときの自分はせめてもう数年は日本にいたかったし…。

来ることになったとき、自分がマネジメントの立場にいなければ「誰か他の人にやってもらってください」と言っただろう。

でも…この構想自体は自分が10年以上前から考えてきたもの。
色々とあって、誰かがやらなきゃいけないとなったとき、言い出しっぺであり、企画立案したマネジメントの立場にある自分が引き受けていくしかない、やるからには全力でやると決断した。
正直、経験のない自分にとっては知らないことばかりの中で、色んな人に教えを請いながら、必死に学んでなんとか足掻いて前に進んできた。

部長のときは、誰かに任せることもできたし、部下たちに支えられてきた。
でもこっちに来れば、チームメンバーはいるものの、少人数でもあるため、結局自分がやるしかないことがあまりにも多かった。

「(業務という面で)やりたいこと」をやってるわけじゃない。
どちらかといえば「人が嫌がること、面倒臭いと思うこと」ばかりを引き受けて仕事している毎日。
「個人」という立場だけであれば、こんな面倒で大変なことやりたくない。
でも「組織」に対する責任者である以上、一番負担の大きいところを積極的に引き受けていくしかない。

すごくきつくて、「誰だ?こんなことやろうと言い出したの?」って思うことも度々。
その都度、「あ、俺か」となって「やるっきゃない」になるんだけどw

こんなことをやる必要がなぜあったのか?

それは自分自身が現役だった頃からの経験にさかのぼる。

当時、A証券で先物中心にディーラやっていた自分。
そこには凄腕の同僚もいたし、同業他社にもライバルであり、友人でもあるプレーヤー達がしのぎをけずっていた。
まだ証券ディーラーが勢いがあった時代の話だ。

それぞれの会社もそれなりに資金量豊富な会社ではあったけれど、地場証券という世界では、ポジションを増やしてもらうにしても、資金枠や自己資本規制に基づく限界がある。
真剣にディーリングに向き合い、結果を出し、枠を増やしてもらう。
ディーラーであれば自身の運用者としての成長の証でもあり、それがモチベーションにもなる。
枠が大きくなれば、得られる報酬額も増える。そういった現実的なメリットも大きい。

ただある程度の水準まで来ると、一人のディーラーに付与するには会社としての限界を迎えてしまう。
その壁にぶち当たった友人たちが、一人、また一人とそれぞれ所属していた会社を去り、シンガポールや香港に渡ってヘッジファンドを立ち上げたり、プラットフォームに入ってもっと大きな運用を目指した。
もちろんそれぞれがトップディーラー。
彼らが抜けてしまったディーリング部は一時的には収益が激減することになる。
でも「個人」の夢や未来のための選択を「組織」が束縛することはできない。

そして地場ディーリングを行う会社の多くは、一部を除いて次世代の運用者を育てるという取り組みを怠ってきた。
結果として抜けた穴を埋められるような人材が出てくることもなく、結果として数年後にディーリング部が閉鎖になってしまったような会社も少なくない。

自分が今のグループ会社の面接を受けた2011年。
そのときに「若い次世代の運用者を育てる取り組み」と、「そういう人材が育った先の道を創ること」が必要なんだと訴えたのはそういう背景がある。

人を育てること=個人の未来や可能性を育てる。
それを怠ってきた業界だからこそ、これほどまでにシュリンクしてしまった。
人材育成と研究開発投資、そこが出来ない企業や業界にどれだけ未来が創れるだろうか?

次世代の運用者が生まれ育つ土壌があまりにも少ない。
これは地場のディーリングだけではなく、運用業界全体における問題の一つでもあると思う。
小さな組織に過ぎなくても、地場だからこそ出来る取り組みもある。

一方で、人を育てることに真剣に取り組めば、それがうまくいけばいくほど、成長した「個人」にとっては必ずその器が狭くなるときがくる。
地場という器が狭くなってしまった「個人」が、自分の未来を考えて「次」を求めるのは自明の理であり、当然の権利でもある。
「育ててもらって世話になったんだから、トップディーラーになっても絶対に辞めずに貢献し続けろ」というのはマネジメントの傲慢だと思う。
だからこそ育ちきった「個人」の選択肢を「組織」として増やし、その「個人」の未来を一緒に創ることで「組織」の発展と維持につなげていく必要がある。

そのためのこの取り組み。
稼げる人が抜けてしまうことになる。
確かにそうかもしれないが、ただ辞めてしまって個人になったり、独立してしまったり、どこかもっと資金力豊富なところに引き抜かれるよりは、グループ会社で次の挑戦をし、その可能性を最大化してくれることでグループとして発展出来る方が可能性はつながる。
そこで上がった利益が、グループとしていずれ還流されることで、育てた組織がまた次の世代を育てるための原資にもなる。

「個人」の選択肢を広げ、それぞれの未来をよりよいものにするために「組織」としてどう行動するか。
これまでやってきたことをただ続けることで、本当に組織は維持できるのか?
もちろん足元が黒字ならそれでも問題はないかもしれない。
でも時代は変わる。
テクノロジーの進歩とともに運用も変わってきた。
常に時代にマッチした新しい世代にチャンスを作り、その「個人」の成長とともに「組織」も発展する。
「個人」にはそれぞれの生活や人生、未来、夢がある。
それは「組織」によって縛られるべきではない。
それでもその「個人」の自己実現、成長や成功が、組織の発展にもつながることは確かだ。
「個人」は自分の未来のために努力する。
「組織」はそれをサポートし、その成長と成功と共に発展する。
そのために相互に最善を尽くせるようにありたいと思う。

「組織」を束ねる立場から見た景色、それぞれの「個人」から見た景色はきっと大きく違うのだろう。
コロナ禍、物理的な距離、様々な状況の変化の中ではなかなか伝わらないかもしれないけれど、今でも変わらず「みんなのこれから」を考えているし、一人一人の成長と成功を心から願っている。そしてそれはこれからも変わらない。
プロフィール

tetsu219

Author:tetsu219
元証券ディーラーです。
二十数年ディーラーやって、シンガポールにも一時期行ってヘッジファンドを立ち上げてみたりと色々やってきて、とある証券会社でディーリング部長になり、今はシンガポールでヘッジファンドの設立・経営をやっています。

基本仕事ネタです。
更新は気が向いたときだけ(^^;
でもこのブログを通じて運用を志す若い世代の人たちに何か伝えられること、その一助になればと思っています。

初期は限定記事にしていましたが、今は開き直って全部公開にしてますのでお気軽に(笑)

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