【回想録】混迷のとき…2
東京市場は徐々に活力を失いつつあった。
ディーリング部の収益も低迷し始め、目標どころかコストを稼ぐのが精いっぱいになり始めていた。
そんな中でも自分は何とか数字を作ってはいたが、月間一億円を超えるのは徐々に難しくなっていきていた。
ただそんな状況にあっても焦りがあったわけではない。
部の中ではそれでもトップレベルにあったし、月間損失は年に一度あるかないかで、損を出しても在籍期間中での最大が▲2000万円ちょっと(1000万円を超えたのは一度だけ)。そして利益は1億超え、2億超えが何度もあり、移籍後の累計では数十億の利益を上げていた余裕もあった。
しかし、そこには『慢心』があった。
一流のプレーヤーになるという目標。
水準的にはある程度満足できるレベルまで来ていた。
そして、プレッシャーを与えてくれていた『彼』の離脱。
どこか張り合いを失い、目標を見失いかけていたのかもしれない。
流されるように無駄なお金と時間の使い方をすることも多くなっていた。
そんな中で迎えた9月(苦手なメジャーSQ月)。
スタートから調子が悪かった。
どこか苛立ちながらトレードをしていた部分もあったかもしれない。
もう一つは『彼』がシンガポールでヘッジファンドを立ち上げ、再始動し始めたことも影響していたと思う。
先物を100枚、200枚、300枚という単位で振り回していれば、一日で1000万円超の損益になることも日常茶飯事。
ただそれが当たり前になり、どこか危機感や緊張感にかけている自分がそこにはいた。
本気でヤバイと思い始めたとき、損失額はすでに▲3000万円を超えていた。
前の会社で出した最大損失は▲3400万円。
フセイン捕縛のときのことだった。
その水準を超えてきたときに、ようやく本気でヤバイと思った。
ポジション量を抑えて、少しずつでも回復させようともがいたが、時すでに遅し。
会社から与えられていた損失限度は▲7000万円。
▲5000万円を超えてきたときは完全に自分を見失いつつあった。
近づく月末。
取り返さなければという焦り。
つい大きなポジションを取ってしまった。
余裕がない状況にも関わらず…。
そこでトドメの一撃が…。
当時、使っていたトレーディング・システムには、設定した損失限度に対して一定水準になると警告表示をポップアップでする機能がついていた。
しかし、そこには大きな問題があった。
その水準につく度にポップアップが出てしまったのだ。
先物を200枚ロングの状態で、その水準にタッチしてしまった。
当然のようにポップアップが出る。
しかもその値段がつく度に表示されるから、あっという間に10枚以上のポップアップが出てしまった。
それを消している間に…先物が急反落。
そしてその月の損失額は▲6486万円に上った。
終わってから、その損失額に寒くなったが…。
その時点で、あの時と同じように自分からトレードをストップした。
そんなシステムに対して腹もたったが、損失自体はそのシステムのせいではない。
自らが招いた損失。
そしてそんな余裕がない状態なのに、過剰なリスクを取っていた自分。
慢心から損を招き、焦りから過剰なリスクを取った自分に問題がある。
そう判断して、そこからは修正に入った。
その月のトレードを一つ一つ振り返りながら、反省を繰り返す。
そして翌月自分に課したのは
ポジションを抑えてスタートすること。
一日一日をプラスで終わる。
まずはそれだけに集中して戦うこと。
全部取り返すのに3か月はかかると覚悟して臨んだ。
先物は50枚から始めて、1000万を超えたら100枚まで増やす…とかつて「R」に課したテーブルと同じようなものを自分で作り、少しずつ、でも着実に取り返していった。
そして翌月、終わってみれば1億2104万円の利益を出せた。
取り返そうという焦りをしっかりとコントロール出来た結果だと思う。
月間で数字を作っていくとき、ホームランは必要ないんだということを強く感じた一幕だった。
その頃、自分のデスクの前には変な標語を貼っていた…。
一トレード一トレードを大切に。
一日一日を大切に。
自分はそこで損失の回復が出来たが、なかには沈んでいくディーラーも少なくなかった。
ディーリング部としては『正念場』を迎えつつあった。
ディーリング部の収益も低迷し始め、目標どころかコストを稼ぐのが精いっぱいになり始めていた。
そんな中でも自分は何とか数字を作ってはいたが、月間一億円を超えるのは徐々に難しくなっていきていた。
ただそんな状況にあっても焦りがあったわけではない。
部の中ではそれでもトップレベルにあったし、月間損失は年に一度あるかないかで、損を出しても在籍期間中での最大が▲2000万円ちょっと(1000万円を超えたのは一度だけ)。そして利益は1億超え、2億超えが何度もあり、移籍後の累計では数十億の利益を上げていた余裕もあった。
しかし、そこには『慢心』があった。
一流のプレーヤーになるという目標。
水準的にはある程度満足できるレベルまで来ていた。
そして、プレッシャーを与えてくれていた『彼』の離脱。
どこか張り合いを失い、目標を見失いかけていたのかもしれない。
流されるように無駄なお金と時間の使い方をすることも多くなっていた。
そんな中で迎えた9月(苦手なメジャーSQ月)。
スタートから調子が悪かった。
どこか苛立ちながらトレードをしていた部分もあったかもしれない。
もう一つは『彼』がシンガポールでヘッジファンドを立ち上げ、再始動し始めたことも影響していたと思う。
先物を100枚、200枚、300枚という単位で振り回していれば、一日で1000万円超の損益になることも日常茶飯事。
ただそれが当たり前になり、どこか危機感や緊張感にかけている自分がそこにはいた。
本気でヤバイと思い始めたとき、損失額はすでに▲3000万円を超えていた。
前の会社で出した最大損失は▲3400万円。
フセイン捕縛のときのことだった。
その水準を超えてきたときに、ようやく本気でヤバイと思った。
ポジション量を抑えて、少しずつでも回復させようともがいたが、時すでに遅し。
会社から与えられていた損失限度は▲7000万円。
▲5000万円を超えてきたときは完全に自分を見失いつつあった。
近づく月末。
取り返さなければという焦り。
つい大きなポジションを取ってしまった。
余裕がない状況にも関わらず…。
そこでトドメの一撃が…。
当時、使っていたトレーディング・システムには、設定した損失限度に対して一定水準になると警告表示をポップアップでする機能がついていた。
しかし、そこには大きな問題があった。
その水準につく度にポップアップが出てしまったのだ。
先物を200枚ロングの状態で、その水準にタッチしてしまった。
当然のようにポップアップが出る。
しかもその値段がつく度に表示されるから、あっという間に10枚以上のポップアップが出てしまった。
それを消している間に…先物が急反落。
そしてその月の損失額は▲6486万円に上った。
終わってから、その損失額に寒くなったが…。
その時点で、あの時と同じように自分からトレードをストップした。
そんなシステムに対して腹もたったが、損失自体はそのシステムのせいではない。
自らが招いた損失。
そしてそんな余裕がない状態なのに、過剰なリスクを取っていた自分。
慢心から損を招き、焦りから過剰なリスクを取った自分に問題がある。
そう判断して、そこからは修正に入った。
その月のトレードを一つ一つ振り返りながら、反省を繰り返す。
そして翌月自分に課したのは
ポジションを抑えてスタートすること。
一日一日をプラスで終わる。
まずはそれだけに集中して戦うこと。
全部取り返すのに3か月はかかると覚悟して臨んだ。
先物は50枚から始めて、1000万を超えたら100枚まで増やす…とかつて「R」に課したテーブルと同じようなものを自分で作り、少しずつ、でも着実に取り返していった。
そして翌月、終わってみれば1億2104万円の利益を出せた。
取り返そうという焦りをしっかりとコントロール出来た結果だと思う。
月間で数字を作っていくとき、ホームランは必要ないんだということを強く感じた一幕だった。
その頃、自分のデスクの前には変な標語を貼っていた…。
一トレード一トレードを大切に。
一日一日を大切に。
自分はそこで損失の回復が出来たが、なかには沈んでいくディーラーも少なくなかった。
ディーリング部としては『正念場』を迎えつつあった。