【回想録】混迷のとき…3
東京市場の地盤沈下…。
相場が動かない。
日経平均株価が大幅高しても、その値幅のほとんどが夜間のうちの上昇。東京時間に入ると、高寄り後は動かない。
トレンドは昼ではなく、夜(欧米時間)に作られる傾向は日に日に強くなっていった。
それとともに短期運用主体のディーリング部の収益も低迷していく。
『このままではいけない…』
そんな危機感は強まる一方だった。
背景にはいくつもの要因があったと思う。
東京株式市場の売買代金の半分近くを外国人投資家が占めるようになり、彼らの動向が相場の上げ下げを左右することが多くなっていた。
彼らにとって東京時間は夜。
一晩中起きて、相場に張り付いてやるわけでもない。
朝方にある程度の金額の売買執行(ポジション調整)を出したらおしまい。
あとは引け前に入ってくるぐらい。
一方で、東京時間主体で売買をするのは国内投資家。
外国人投資家の反対にいることが多いのは個人と信託銀行(年金)。
どちらも基本は逆張りが多い。
つまり外国人投資家の買いによる上昇相場でも、東京時間に入ると『上がれば売る』という投資家が多くなるからトレンド通りにはザラ場は動かない。
下落時も同じ。
そして2000年以降、顕著になっていったパッシブ運用化。
個別銘柄とかポートフォリオの特性で積極的に勝負するファンドは減り、ベンチマークに合わせる運用が増えていった。
どんどん相場は味気なくなっていく…。
そして売買執行を機械が単調にこなすことが多くなっていた(アルゴリズム・トレーディングの台頭)。
そしてその機械化こそが相場から『感情』を奪っていった一因。
最初は顧客の注文をさばくためにアルゴリズム・トレーディングは普及していった。
大きなバスケット、個々の銘柄を人間が目で見て判断してVWAPに勝った負けたしていた時代。
そこはトレーダーの手腕による部分も多かったし、人海戦術で捌く必要があった。
それをコンピュータで処理できるようにし、人件費の削減などをしていくのがアルゴ拡大の背景にあった。
外資系のトレーダーはポートフォリオの中でも金額が偏って大きいものや、流動性が低いもの(プログラムが有効に働かない)を人間がやり、あとは機械に任せるようになっていく。
そして機械は顧客の注文執行のみではなく、徐々に相場を支配するようになっていく。
コロケーション…取引所のデータセンターサービス。取引所内(もしくは近隣)にデータセンターを配し、そこを取引所が場所貸しする。物理的に近い距離にサーバーを置くことで発注速度を早くできる。データセンター内のサーバー上にプログラム自体を置き、そこで自動的に売買を執行することでミリセカンド(マイクロセカンド)単位でより早い注文操作を実現することができる。
HFT…High Frequency Tradingの略。超高頻度取引。一瞬の間に売買を執行する。顧客や一般参加者より早く有利な環境でこれを行い、瞬間的にサヤを抜くやり方。
それがどんどん増えて、市場は無機質になっていく。
アルゴリズム・トレーディング…プログラムによって売買を執行する。個々の銘柄の値動きを監視し、執行したい注文数量・金額などの内容と時間・出来高の推移からプログラムが注文を分散執行し、より優位な価格でその注文をさばく。今ではアルゴリズムの選択肢も各社各様にあり、方法も多種に渡る。外資系証券では数十種類の発注方法を用意しているところもある。
そういったコンピュータによる取引の比率がどんどん増えて、相場は味気なくなっていく…。
そして問題なのは、地場証券のディーラーを中心に人間が手で行う売買については非常に厳しいコンプライアンス基準を求められていたのに対し、プログラムベースでの執行する売買についてはそういった規制が非常に緩かったことだ。
大口の注文を出して瞬時に取り消す。人間がやったらすぐにコンプライアンスに呼び出されかねない。しかし、アルゴがやった、プログラムが判断してそうなった、といえば不問とされる(という印象が強い)。
これでは短期運用者にとっては圧倒的に不利な環境での戦いを強いられているに等しい。
悪意を持ったプログラムだってあるだろうに…。
地場証券のディーリングは変化を必要としていた。
しかし、会社はディーラーに対し逆の方向に進めと求めていた。中長期のキャリー・ポジションによる運用ではなく、短期(日計り)運用に偏った運用。損を出さないようさせるためだ。
確かに持ち越したポジションがなければ管理はしやすい。
しかし、短期運用の環境はどんどん厳しさを増していく。
海外で発達していたコンピュータ・トレーディングが日本で十分に増えていなかったのは取引所のシステムの処理能力が遅すぎたから。
それが変われば彼らが一気に入ってくる。
『今のままではいけない。』
高騰し過ぎた成功報酬。結果として、全員が儲かるような相場でなければ会社に利益が残らない体制になってしまった。
会社は損失に対して神経質になり、どんどん運用を制約していった。
結果として、ディーリングにおいては日計りに偏った運用が増えていく。
一日の間にポジションを傾ける人が減れば減るほど、値動きは乏しくなっていく。
ボラティリティは短期運用者にとっては酸素。
マーケットという水槽がどんどん小さくなり、酸素が少なくなっていく。
その中で体力のない者はどんどんつぶれていく。
そして海外で発達をみせていたHFT(システムによる超高頻度取引)。
取引所システムの処理速度が速くなれば、こういった運用者が参入してくる。
酸素が減った水槽の中にそんなものが入ってくれば、一気に死活問題になりかねない。
まだ体力のある今のうちに変わらなければ…
そう思い、会社に対して様々な提案をしていった。
また部長からリストラも考えなければならないという相談(というより上からの圧力)を受けて、リストラについても動き始めた。
『守り』の部分
まずはコストを抑えることと損失を抑えること。
その会社は力があったから、ある意味損に対しても寛容だった。
月間ストップロス(損失限度)はあるものの、ストップロスをつけた翌月も同じ条件でゼロからのスタート。
中には月間ストップロスの何倍も損失を抱えているディーラーもいた。
全体的に収益力が落ちてきた状況で、その損失は重かった。
損失に対して、何らかの歯止めをかけなければならない。
本来であれば、損失を出しているディーラー本人がある程度リスク・コントロール(ポジションを減らすなど)が出来ていいのだが、そのコントロールが出来ないプレーヤー達がそういった損失を出していた。
ならば制度的にその損失をコントロールできる仕組みを作らなければならない。
またシステムコストなどの負担もその会社はディーラーから徴求していなかったため、それを取る仕組みも必要だった。
できるだけ安易に収益が低迷しているディーラーのクビを切ってコストを減らす方法ではなく、合理的な説明のつく範囲内でコストをみんなで分担できるようにしたかった。
『攻め』の部分
運用対象商品の拡大。そして時間帯の拡大。
日本市場が活気がないのなら、活気のある市場で戦うべき。
そしてトレンドが夜に作られるのなら、夜に戦えばいい。
そして日計りだけではなく、運用手法を多様化していくことで、市場の変化に対応力のあるディーリング組織へと変えていきたかった。
後輩たちにロングショートに取り組ませたりしたのもそう。
いずれオプションなどもやらせたいと思っていた。
かつて若手と呼ばれた頃にどちらも経験している売買だった。
それを後輩たちに伝えていかなければ…。
『守り』の部分はディーラー達の反発が強かった。
当然といえば当然。
コストが増えて、給料が減るのだから。
『オレが一番減るんだから、みんなも部を守るために真剣に考えて欲しい…』と訴えて回った。
契約ディーラーの意見、正社員ディーラーの意見、みんなバラバラだったし、中には身勝手なことばかり言う人もいた。
しかし何カ月もかけて話し合っていく中でようやくコンセンサスを得られつつあった。
『攻め』の部分は会社の理解と協力が必要だった。
上には掛け合ったものの、『なかなか難しい』との返答ばかりで一向に先に進まない。
強まる危機感。
そして仲間たちに多少なりとも痛みを伴う改革を理解してもらうための苦しさや疲労感。
非協力的な会社の姿勢に対する苛立ち。
そんな色々な思いを抱えていたときにあの事件が起きた。