【回想録】育成のとき…5
『R』の一件での痛み…
友人たちが独立→ヘッジファンド設立に向けて動き出す中で踏み出せない自分に対するもどかしさ…
ディーリング部全体においても決して楽な状況ではなくなっていた。
稼ぎ頭である『彼』が独立を志向していくことで一つの柱を失うことになる。そして株ブームの終焉後、不調に陥り多額の損失を抱えるディーラーも何人かいた。
そんな中で育成プロジェクトは進みだした。
まずは中途採用したBくんとK。
Bくんはおとなしいタイプ。
ディーラーに必要とされる決断力や思い切りの良さはあまりなかったが、言われたことに対しては素直であったし、地道な努力はできていた。
Kは若いだけにガツガツしたところがあり、『自分は出来る』という自信をどこか持っていたように感じた。経験もないのにそう感じるのは『過信』かもしれないが、それは相場がいずれ教えてくれるだろう。
まずは朝のミーティングを3人で始めた。
ニュースや夜間の海外市場の動きについてそれぞれに話させる。
そして見るべきポイントの修正や足りないところを話した。
次に、今日のマーケットでのポイントについて話させる。
そのうえで自分がどう見ているかを話す。
最初はシミュレーション。
外務員資格が取れるまでは仕方ない。
Bくんはシミュレーションでもたいしたことはなかった。
取ったり取られたり…シミュレーション結果を見ても、特に目を引くようなところはなかった。
傾向としては、値動きが荒いものや、トレンドが強く出ている銘柄を追えないところが見えていた。
上がると思って買う→評価益が出る→早く利益確定して楽になりたくなる→利食ってからさらに上がると手が出なくなる
そんな感じだった。
Kのシミュレーションは異常なほどよかった。
買ってヨシ、売ってヨシ。
『これは危険だな…』
と自分は漠然と感じていた。
シミュレーションで陥りがちなポイントが二つある。
一つは、値段がついただけで約定出来たことにしてしまい、自分の都合のいい方にシミュレーション結果を捻じ曲げてしまう。
もう一つは、精神的なプレッシャーがない状態でやっているから、サクサクいける。ただそこで自信過剰に陥ると、その無意味なプライドが邪魔をし、実際の相場で負けたときに負けを認められなくなり自滅する。
Kには、最初の一つはしっかりとやるように指導した。しかし、うまくいき過ぎる。妙な自信を持ち始めているのが気になっていた。
そして迎えた本番。
Bくんのトレードはほぼシミュレーション通り。やられないけど、たいして儲からない。厳しく言えば、あまり可能性を感じさせる内容ではなかった。ただ彼の武器は地道な努力。いずれ違う道もあると思うから、経験を積ませることを考えていたのであまり心配はしていなかった。
Kについては予想が的中する結果となった…。
結果は、シミュレーションの真逆。ポジション額が小さいにも関わらず、結構な損益のボラ。そして損が大きく先行していく。
本人も苛立っているのが手に取るように分かったが、若さゆえだろうか、彼には自分を律することや、自分への厳しさがどこか欠けていた。
Kは自分が育った環境についてよく文句を言っていたが、相場においてもどこかうまくいかないのを自分のせいではなく、何かのせいにしようとする傾向が見られた。
ポテンシャルはある子だったが、Bくんとは対照的にこらえ性がない。
ある朝のミーティング。
Kはいつも出社が遅かった。
指導者である自分よりも遅いのが当たり前。
そしてその日はミーティングが始まる時間になっても来ておらず、とりあえずBくんと二人で始めた。
そして遅刻してきたK。
『やる気ないならやらないでいいぞ。』
と自分は冷たく突き放した。
その反応は自分の予想とは大きくかけ離れていた。
『分かりました。やめます。』
そのまま会社を飛び出していってそれきり…。
Bくんが青ざめた顔して追いかけていって、何とかとりなそうとしたが、ふてくされたKはそのまま帰ってこなかった。
Bくんは何とか自分にたいしてKの取った行動をかばおうとしていたが、
『ここは学校じゃない。俺が先生なら追いかけるが、給料もらってディーラーという仕事を学ばせてもらっている状況で、自分から投げ出したヤツを追いかける必要はないし、それをしてもアイツのためにもならない。』
と自分は突き放す。
そのままKは辞めていった。
残ったのはBくん一人という状況だったが、その後も面接は続けていき、後にOとHという困ったちゃんの採用を決めた。
ちなみにその頃の自分の収益はやはり全体としては落ち込み、月間1億円という水準をなかなか越えられなくなっていた。
月間損失はなかったが、一番悪かった月が240万、一番いい月が9千4百万程度。ならしてみると大体月に5千万程度まで落ち込んでいた。
スランプというレベルではなかったが、友人たちがシンガポールへ旅立つ中で取り残されたという思いもあったせいか、どこか少しずつ焦りを感じ始めていた…。
友人たちが独立→ヘッジファンド設立に向けて動き出す中で踏み出せない自分に対するもどかしさ…
ディーリング部全体においても決して楽な状況ではなくなっていた。
稼ぎ頭である『彼』が独立を志向していくことで一つの柱を失うことになる。そして株ブームの終焉後、不調に陥り多額の損失を抱えるディーラーも何人かいた。
そんな中で育成プロジェクトは進みだした。
まずは中途採用したBくんとK。
Bくんはおとなしいタイプ。
ディーラーに必要とされる決断力や思い切りの良さはあまりなかったが、言われたことに対しては素直であったし、地道な努力はできていた。
Kは若いだけにガツガツしたところがあり、『自分は出来る』という自信をどこか持っていたように感じた。経験もないのにそう感じるのは『過信』かもしれないが、それは相場がいずれ教えてくれるだろう。
まずは朝のミーティングを3人で始めた。
ニュースや夜間の海外市場の動きについてそれぞれに話させる。
そして見るべきポイントの修正や足りないところを話した。
次に、今日のマーケットでのポイントについて話させる。
そのうえで自分がどう見ているかを話す。
最初はシミュレーション。
外務員資格が取れるまでは仕方ない。
Bくんはシミュレーションでもたいしたことはなかった。
取ったり取られたり…シミュレーション結果を見ても、特に目を引くようなところはなかった。
傾向としては、値動きが荒いものや、トレンドが強く出ている銘柄を追えないところが見えていた。
上がると思って買う→評価益が出る→早く利益確定して楽になりたくなる→利食ってからさらに上がると手が出なくなる
そんな感じだった。
Kのシミュレーションは異常なほどよかった。
買ってヨシ、売ってヨシ。
『これは危険だな…』
と自分は漠然と感じていた。
シミュレーションで陥りがちなポイントが二つある。
一つは、値段がついただけで約定出来たことにしてしまい、自分の都合のいい方にシミュレーション結果を捻じ曲げてしまう。
もう一つは、精神的なプレッシャーがない状態でやっているから、サクサクいける。ただそこで自信過剰に陥ると、その無意味なプライドが邪魔をし、実際の相場で負けたときに負けを認められなくなり自滅する。
Kには、最初の一つはしっかりとやるように指導した。しかし、うまくいき過ぎる。妙な自信を持ち始めているのが気になっていた。
そして迎えた本番。
Bくんのトレードはほぼシミュレーション通り。やられないけど、たいして儲からない。厳しく言えば、あまり可能性を感じさせる内容ではなかった。ただ彼の武器は地道な努力。いずれ違う道もあると思うから、経験を積ませることを考えていたのであまり心配はしていなかった。
Kについては予想が的中する結果となった…。
結果は、シミュレーションの真逆。ポジション額が小さいにも関わらず、結構な損益のボラ。そして損が大きく先行していく。
本人も苛立っているのが手に取るように分かったが、若さゆえだろうか、彼には自分を律することや、自分への厳しさがどこか欠けていた。
Kは自分が育った環境についてよく文句を言っていたが、相場においてもどこかうまくいかないのを自分のせいではなく、何かのせいにしようとする傾向が見られた。
ポテンシャルはある子だったが、Bくんとは対照的にこらえ性がない。
ある朝のミーティング。
Kはいつも出社が遅かった。
指導者である自分よりも遅いのが当たり前。
そしてその日はミーティングが始まる時間になっても来ておらず、とりあえずBくんと二人で始めた。
そして遅刻してきたK。
『やる気ないならやらないでいいぞ。』
と自分は冷たく突き放した。
その反応は自分の予想とは大きくかけ離れていた。
『分かりました。やめます。』
そのまま会社を飛び出していってそれきり…。
Bくんが青ざめた顔して追いかけていって、何とかとりなそうとしたが、ふてくされたKはそのまま帰ってこなかった。
Bくんは何とか自分にたいしてKの取った行動をかばおうとしていたが、
『ここは学校じゃない。俺が先生なら追いかけるが、給料もらってディーラーという仕事を学ばせてもらっている状況で、自分から投げ出したヤツを追いかける必要はないし、それをしてもアイツのためにもならない。』
と自分は突き放す。
そのままKは辞めていった。
残ったのはBくん一人という状況だったが、その後も面接は続けていき、後にOとHという困ったちゃんの採用を決めた。
ちなみにその頃の自分の収益はやはり全体としては落ち込み、月間1億円という水準をなかなか越えられなくなっていた。
月間損失はなかったが、一番悪かった月が240万、一番いい月が9千4百万程度。ならしてみると大体月に5千万程度まで落ち込んでいた。
スランプというレベルではなかったが、友人たちがシンガポールへ旅立つ中で取り残されたという思いもあったせいか、どこか少しずつ焦りを感じ始めていた…。