【回想録】育成のとき
そんなこんながある中で、自身の運用は相場の追い風もあり充実していた。
月に1億オーバーを稼ぐことが当たり前のようになり、ディーリング部でも月に10億円以上の収益をあげた月もあった(ある会社は同じ時期に20億円上げていたけど…(^_^;))。
そんな中で会社側も人材育成に理解を示してくれ、自分が30歳台のうちに実現しようと思っていた『人材育成』はスタートをきった。
ただその直前に自分は大きな失敗をしてしまう。
チーフ達との決別に匹敵するぐらい、自分にとってはつらい出来事だった。
そして運用という仕事の難しさ、人を育てる怖さを痛感することになる。
そいつ(以下、『R』)とは自分が主催していたディーラー交流会をきっかけに知り合った。
後輩の紹介だったかな?
若いがとても意欲に溢れていて、謙虚かつ努力家。
そんな印象だった。
新卒で外資系証券に入社し、若手の中でも高く評価される人材だった。
ディーラーの飲み会なんかにも積極的に参加していて、みんなに好かれるいいヤツ。
自分にとっても大事な後輩の一人だった。
あるとき『R』から電話があった。
『ディーラーになりたい』
そういう意欲を持っていることは元々知っていたから驚きはしなかった。
優秀なヤツだったし、コイツなら…と思っていた。
問題はタイミングが本当に彼にとっていいのかどうか?
これまでやってきたこと、運用に対する考え方、方法についていくつか確認した。
そして彼が『契約』でやっていきたいという意思を持っていたため、今の収入と預貯金、今後のこと(結婚やら何やら)…そういった立ち入ったこともいくつか聞いた覚えがある。
『契約ディーラー』
この道は大きなリスクを伴う。
特に外資系で将来を嘱望されている『R』には勧める道ではなかったから。
成功報酬が高騰していたから、うまくいけば確かにデカイ。
年収だって億を超えてくる。
中には都道府県の長者番付TOP10に入ってくるようなヤツも何人かいた。
ただそれはあくまで一握りのディーラー。
会社によってマチマチだが、基本給は最低水準。
正社員と違って雇用は守られていない。
自分の収入も90数%が成功報酬だった。
要は勝ち続けられなければ生活すらギリギリになる危険がある。
株ブームが『ライブドア・ショック』によって崩壊の兆しを見せ始めていた中で、これから挑戦する彼が一握りの存在まで辿りつけるかどうかは分からない。
自分はどちらかと言えば『リスク』ばかり『R』に話していた。
その程度でビビるようならやらない方がいい。
本音ではとても期待していたし、ぜひトライさせてやりたいとも思っていたけど…。
それでも『R』の意思は変わらなかった。
貯金も1000万ぐらいはあるから当面は問題ないとのこと。
そこまで強く思っているなら…。
翌日、自分は動いた。
同僚であった『彼』の意見を聞いた。
『彼』も同意見だった。
『アイツならうまくいくんじゃないですか。』
当時、その会社でTOP1位、2位張っていた二人がイケると踏んだ。
そしてディーリング部長に相談をし、自分も同席のうえで人事部長との面談をしてもらった。
両部長の評価も高かった。
『彼は素晴らしいね!』
『ウチにはもったいないぐらいだ。』
自分も、そう評される『R』をどこか誇らしく感じていた。
彼の未来がすごく楽しみだった。
そして『R』の移籍が決まった。
まさかあんなことになるとは誰も思ってはいなかった…。