【回想録】挑戦のとき
移籍したその会社は刺激に満ちていた。
仲介を頼んだ『彼』だけではなく、現物株やオプションでもすごいディーラーが何人もいた。
一方で、自分自身もそれなりの実績があるプレーヤーとして移籍してきた。
初めての移籍はまだ『若手』と呼ばれていた頃。
すぐに結果を求められることはなく、一生懸命にがむしゃらにやるだけだった。
しかし、今回の移籍では結果を出さなければいけない。
でもそれは心地よいプレッシャーだった。
さすがに最初は慎重に…
最初の月は+2000万。
翌月は+4000万。
収益は順調に伸びていった。
特に『彼』の存在が自分にいい刺激を与えてくれていた。
それなりのロット(枚数・株数)で売買していたつもりだったが、彼のアグレッシブさが刺激になり、自分もロット・アップに積極的に取り組めた。
2005年夏。
相場が動かない…。
値幅がない…(今のように)。
そんな相場環境がしばらく続いた。ディーラー仲間の多くが苦しみ、収益が伸び悩む中でも、自分がそれなりの
数字を作れていたのはそのおかげもあったと思う。
そして2005年8月から自分の収益は急激に伸び始める。
(8月)7000万→(9月)9000万→(10月)8000万
ついに10月には1億2000万の収益をあげた。
自身初の1億円超え。
そこから約1年に渡って、1億円を下回る月はほとんどなかった。
中には2億円を超えた月もある。
しかし、それだけ稼いでいてもチームでトップに立つことはまれだった。
そこには常に『彼』がいた。
自分が2億稼いだ月でも隣で3億稼いでいる。
そんな男だった。
『彼』の存在が自分をよりアグレッシブにしてくれたことは確かだった。
その頃に自分があのときに誓ったもう一つことに取り組み始めた。
若手の育成
チーフ達と決別したときに決めたこと。
チーフや兄貴から学んだこと、それを次の世代に伝える。
それは知識とかだけではなく、育ててくれた彼らへの自分なりの恩返しのつもりでもあった。
契約ディーラーである自分が
『人を育てたい』
と申し出たとき、会社は戸惑ったことだろう。
それでもその会社は理解を示してくれ、自分に人材育成を任せてくれた。
そして自分のもう一つの挑戦が始まった。