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【回想録】変化のとき…6

個人的にはスランプを脱出したものの、ディーリングチーム全体の不調は続いていた。

ある月にそれは起きた。

その月、自分はまだ月末まで2週間程度を残した状況で、2000万程度の利益をあげていた。

決して容易な相場ではなかったが、着実に利益を積み上げていた。

そんなとき引け後に部長から相談があると言われ、別室にいった(ちなみに前職のときに世話になった部長はすでに退任されており、後任の方)。

『今月、チーム全体が損益スレスレで、マイナスになるわけにはいかない。運用をいったん止めてもらえないだろうか?』

つまり自分の収益が2000万。他の13人で▲2000万の損失が出ているということ。
悔しかったし、残念ではあったが、部長の立場も理解できる。
運用させてくれている会社側の要請であればしかたがない。

『わかりました。』

と答え、翌日からはトレードをやめた。


ところが…


翌朝の寄り付き。
他のディーラーから

『おいおいなんだよ、ヤラレちゃったよ。』

と理解不能な発言。しかも損失を出しているはずのディーラーから。

『え?なんで他のやつがトレードしてんの?』

と驚いて部長に確認しにいった。
そのときの答えは

『これはお願いであって強制ではないから…。』

ありえなかった。
指示・命令であるならば部長権限でやればいい。
お願いなどという中途半端なやり方で、言う事を素直に聞いたヤツがバカをみる。

『それは既にマネジメントではない。』

部長に対して強く抗議した。
それに止めるなら損を出しているヤツから止めるべき。
それがトレードして損広げていて、数字を上げているはずの自分がトレードストップ。

『ダメだ。ここにいては自分はダメになる。』

確信に変わった瞬間だった。

スランプの原因になった『慢心』。
月5000万程度稼げていたからといって『エース』だの『トップ』だのと持ち上げられて…。
決して調子に乗っていたつもりはない。

『謙虚であれ』

という言葉は常に自分の心にあったし、それはある程度出来ていたはず。
でもそういった環境下で、今の自分にどこか満足してしまっている自分がいた。

チーフ達とのつらい決別のときに誓ったこと。

『一流のプレーヤーになる。』

このままではいけない。
もう一度ハングリーにならなければ。
自分を追い込まなければ。

ディーラーの交流会で知り合ったヤツらにはすごいヤツが何人かいた(今、シンガポールでヘッジファンドをしているヤツも2人いる)。
自分より稼いでいるヤツも何人もいたし、このままでは彼らには勝てないと思った。

翌日、自分は明らかに自分よりすごいと思えるプレーヤー(知り合いの中で最もすごかった)がいる会社に移籍しようと決意し、彼にメールを送った。

『お前のとこ、俺をとる気あるかな?』

彼はすぐに動いてくれ、本部長を紹介してくれた。
移籍はその場で決まった。

退職願いを提出したとき、何人もの人と面接をすることになった。
部長、本部長、顧問…。

本部長と顧問との面接は半日におよんだ。

本部長は、かつて何度『おはようございます』と言っても答えてくれなかった人。
しかし、今では親父のように接してくれる人だった。
何度か飲みにも連れていってくれた。

顧問は、合併直後の初日に1000万の損失を出した自分を励ましてくれた人。
常に温かい目で見守ってくれた人だった。

二人とも自分を責めることはなかった。

ただ…

『すまなかった。もっと色々と俺たちがみてやるべきだった。』

そう言ってくれた。
いい年して恥ずかしい話だが、そのとき二人の前で自分は泣いた。

それでも決意は変わらなかった。
もう一段上に上るために。
本当に一流と言われるプレーヤーになるために。

その覚悟を持って挑戦することを決めた自分。
そんな自分の背中を彼らはそっと押してくれた。

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プロフィール

tetsu219

Author:tetsu219
元証券ディーラーです。
二十数年ディーラーやって、シンガポールにも一時期行ってヘッジファンドを立ち上げてみたりと色々やってきて、とある証券会社でディーリング部長になり、今はシンガポールでヘッジファンドの設立・経営をやっています。

基本仕事ネタです。
更新は気が向いたときだけ(^^;
でもこのブログを通じて運用を志す若い世代の人たちに何か伝えられること、その一助になればと思っています。

初期は限定記事にしていましたが、今は開き直って全部公開にしてますのでお気軽に(笑)

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