【回想録】変化のとき…3
ようやく新しい環境にも慣れてきた。
合併後、毎朝のように
『おはようございます』
と挨拶しても返事をしてくれなかった人達が挨拶を返してくれるようになった。
一番最後まで返事してくれなくれなかったのは当時の本部長。
『若くて生意気な小僧』
って感じだったのかな(^^ゞ
でもその人はその後、自分のことをとても気にかけてくれるようになり、そして親父のように思ってくれる存在になった。
あのとき誓ったこと。
『謙虚であれ。
稼いでいるからエライわけではない。
稼ぐのが仕事なんだから、それは当たり前。
それに奢ることなく、支えてくれる人への感謝を忘れず。 』
それが少しずつだけど、時間もかかったけど、周囲の人に届き始めた。
そしてその人たちの応援が自分の力になっていく。
問題であった運用システムも新しいものを導入することとなり、環境は改善していった。こういったことは利益を上げるということに加えて、そういった周囲の人たちの理解や支援なしには進まない。
合併会社の面倒くささはその頃色々経験したけど、エクイティ部の人たちとはある程度分かりあえたんじゃないかと思う。ま、ディーリング部は隔離されていたんで、難しいところもあったけど…(^^ゞ
ようやく慣れてきた頃、それは起こった…
2001年9月11日
その日の夜に家に帰ってテレビをつける。
『ニュースステーション』
いきなりワールドトレードセンターの一つから煙がモクモクと上がっている映像が目に入る。
「航空機が激突した模様です。」
としかまだコメントされない。
しばらくするともう一機の航空機が近づいていき、もう一方のビルに激突。
その瞬間に
『これは事故じゃない』
と分かる。
真っ先に部長に電話。
自分はたまたまポジション残はなかったが…チームのポジションはどうなっているか?
状況によってはヘッジ可能ならヘッジしておく必要があるかもしれない。
とりあえずそれほどデルタは傾いていなかったようだ(買いと売りがほぼ均衡していた)。
ニュースから目が離せなくなりながら、今度は親しかった情報会社Fさんの携帯に電話。なんか情報入ってるかな?と思いながら…
電話の向こうは何やら騒がしい…どうもキャバクラにいたようで(^^ゞ
『ま、明日明日!』
的な呑気なこと言われて半ば呆れていたっけ。
そこからは一晩中テレビにくぎ付け。
そんな会話をしている最中にビルが崩壊していった…。
海外市場はNY証券取引所が閉鎖していたこともあって出来ることはほとんどなかった。
チームのポジションも傾いていないようなので、トレードのことは明日考えるとして、この事故(事件)の意味を理解しようと必死だった。
誰がどういった意図で…
そしてこれからどうなっていくのか…
市場への影響は…
ITバブル崩壊後、日経平均株価はダラダラと下げ続けていた。
『持ち合い解消』
『PKO(Price Keeping Operation=要するに公的年金による株価買い支え)』
といった言葉がよく聞かれた。
ITバブルは崩壊し、持ち合い株の損失拡大からその解消の動きが強まり
、株価は下落。戻るときは公的年金による買いぐらい。
そんな力のない相場だった。
そして近づいていた10000円割れ。
入社以降、10000円を割り込んだ日経平均株価は見たことがなかった。
そしてそれはこの『同時多発テロ』によって実現した。
翌朝はもちろんこのニュース一色。
問題は取引所の対応。
ま、日本が影響出ているわけではないから閉鎖はないだろうとは思っていたけど、何も対応せずにそのままやるとも思えなかった。
東証は当日の値幅制限を半分にすると発表。
緊張感に包まれた中で市場は始まった…。
日経平均先物の前日終値は10320円。
ストップ安もありえる状況ではあったが、その目前の9360円でいったん寄りつく。
そして切り返し、9790円まで戻した後に再度下落、そして最後は9320円のストップ安で取引を終える。
このボラティリティはチャンスでもあった。
すでに先物主体に切り替えていたこともあり、自分は機動的に動けていた。
この月、自分は合併して以降の最高益をたたき出す(ITバブルのピーク時には全然届かなかったけど…)。
ちょっと話は脱線するが…
『こういった事件で利益を上げることってどうなの?』
という意見がある。
それもごもっともかもしれない。
他人が傷ついたり、苦しんでいるときにお金儲けなんて…。
自分がまだ若手の頃、阪神淡路大震災が起きた。
そして先輩たちは『復興関連』とはやし立て、建設株を買いまくっていた。
不動建設とか噴き上げていたっけ…。
そんな先輩たちを見ながら…
『怖いところに来たなぁ。俺、やっていけるだろうか…。』
と思っていた若手の自分。
今は相場に入ると戦うことしか頭にない自分がいた。
人の不幸を喜んでいるわけではない。
ニュースを見ながら、知り合いも何人かマンハッタンにいたので心配もしたし、テロを起こした彼らを許せないとも思う。
少額だけど個人としては寄付もした。
ただ自分の仕事は収益を上げること。
会社の損失を食い止め、利益を上げ貢献する。
そして自分たちがいる市場は戦場だ。
一瞬の判断の遅れや迷いが致命傷になる。
勝ち続けなければ生き残れない世界。
今でもプライベートな問題を抱えていたり、悩んでいたりしても、相場に入ると忘れられる。色んな問題で苦しんでいるときほど、マーケットにいる時間に救われたりもする。余計なこと考えないで済むから。
それに慣れてしまったのだろう。
戦い、勝つことが自分の仕事であり、役割であり、責任ならば、戦場にいる間は余計なことを考えずに、ただマーケットのことだけを考える。
ディーラー、トレーダーの中でも色んなヤツがいる。自分はどちらかといえば本来そういった割り切りはヘタな方だ。
元々、小学校の先生になりたいと思っていた。
そんな自分だから、今の仕事が人の役に立っているのだろうか…と時々、自問自答する。自分の存在意義を考えてしまう。
だから他人からは何でそんな面倒くさいことするの?
と言われるようなことを積極的にしてきたのかもしれない。
『人材育成』『例の飲み会』そして『今の挑戦』…
ま、教科書的な答えをするなら、ディーラーの存在意義は流動性の供給にある(今はHFTに取って替わられつつあるが…)。
自分たちのような市場参加者がいるから流動性が供給される。
ストップ安目前で寄りついたのもそういった連中が買ったからだろう。
自分もその日最初のトレードはロング(買い)からだった(後半は売りましたけど…)。
ちょっと話はそれてしまったけど、その後NY証券取引所が再開したのは17日のことになる。
再開して▲684.81ドル安(▲7.13%)。
5営業日後にザラ場安値8062.34ドル。再開前比で▲1543.17ドル安(▲16.07%)の安値をつける。
日経平均株価は11日に安値をつけた後、10000円前後まで戻りを試す。
NY市場再開で再度急落となるが、安値を割れることはなく、その後ジリジリと値を戻す展開。
そこから市場はいったんリバウンドへと向かっていく。