【回想録】選択のとき
話は戻って…
「チーフや兄貴達との決別」という選択をした自分だったが、この頃にもう一つの選択をした。
「ディーラーとしての自分」と「プログラマーとしての自分」。
入社したときにはパソコンすらロクに触ったことがなかった。
そんな自分がVBA(正確にはマクロ4.0)から入り、VB、C++、JAVAを習得し、個人で開発したものが商品として評価されるまでいけた。
それはとても嬉しいことだったが、身体は一つしかない。そして時間には限りがある。
このまま両方を追えば、どちらも中途半端になってしまう。
そんな危機感があった。
つらい別れを経て、自分で決めたこと。
「一流と言われるディーラーになる」
そのために半端は出来なかった。
インターネット・サービスプロバイダー大手への納品後、数ヶ月はフォローに追われたが、それ以降は開発の勉強をすることをやめた。
そして自分はマーケットにのめり込んでいく。
時代はITバブル全盛期。
若さもあった。収益は伸びていき、月に数千万円は稼げるようになった。
大体、3000万円~7000万円ぐらいだったかな。
だって相場は簡単だった。
ストップ高しそうな銘柄追っかけておけば翌日買い気配だし、個別銘柄はよく動いたし。
その頃は先物なんて一日一回か二回。
基本は個別株。
日計りは前日に出来高が変化した銘柄や、寄り前になんか怪しいと思う銘柄(ほとんどIT関連ばっかり)で勝負する。そしてそれとは別に小口に分けて何銘柄かのポジションをキャリー。ロング・ショートもやっていた。
常時、20~30銘柄は保有していたかな。
せっかく身につけた開発力を活かして、テクニカルベースのシステム・トレードなんかもしていた。
「ハイテク株にあらずんば株にあらず。」
なんて言葉もあった。
ハイテク株以外は全く相手にされず、鉄鋼株など旧来の重厚長大産業は全く蚊帳の外だった。
「バブル」経験者のおじさん達は、かつて凄腕と言われた人達ですらついていけない。そんな訳の分からん理解不能な業態の企業なんて買えないという人が多かったからだ。
自分は情報部時代に新興市場を担当していたこともあり、その手の銘柄は得意だった。
この時期、最もお世話になったのがソフトバンク。
この銘柄には何故か縁がある。
ペーペーの頃に店頭公開し、情報部に配属されたときは、注目度が高いとしてソフトバンク担当にもされた。社長のお供で本社に行ったこともある。
ひと銘柄で一番儲かったのは、先物を除くとこいつだった。
次から次へと話題を提供。
Yahooへの資本参加、Yahoo! JAPAN設立、証券業への進出や、テレビ朝日買収も仕掛けたり…。
「第2のヤオハン」と揶揄されて、株価が低迷していたところから、1万円台乗せ、2万円、3万円…と株価はグングン上昇していく。この辺りで某外資系証券のアナリストが思いっきり過大評価としてレーティングを引き下げて一時急落したことを覚えている。
それでもソフトバンクは切り返し、5万円を超え、10万円を超え…。一部ではそんなレポートを出したアナリストを嘲笑する向きもあったが、後で冷静に考えると彼はある面では正しかったのかもしれない。
そしてITバブルは崩壊へと向かっていく…。
「チーフや兄貴達との決別」という選択をした自分だったが、この頃にもう一つの選択をした。
「ディーラーとしての自分」と「プログラマーとしての自分」。
入社したときにはパソコンすらロクに触ったことがなかった。
そんな自分がVBA(正確にはマクロ4.0)から入り、VB、C++、JAVAを習得し、個人で開発したものが商品として評価されるまでいけた。
それはとても嬉しいことだったが、身体は一つしかない。そして時間には限りがある。
このまま両方を追えば、どちらも中途半端になってしまう。
そんな危機感があった。
つらい別れを経て、自分で決めたこと。
「一流と言われるディーラーになる」
そのために半端は出来なかった。
インターネット・サービスプロバイダー大手への納品後、数ヶ月はフォローに追われたが、それ以降は開発の勉強をすることをやめた。
そして自分はマーケットにのめり込んでいく。
時代はITバブル全盛期。
若さもあった。収益は伸びていき、月に数千万円は稼げるようになった。
大体、3000万円~7000万円ぐらいだったかな。
だって相場は簡単だった。
ストップ高しそうな銘柄追っかけておけば翌日買い気配だし、個別銘柄はよく動いたし。
その頃は先物なんて一日一回か二回。
基本は個別株。
日計りは前日に出来高が変化した銘柄や、寄り前になんか怪しいと思う銘柄(ほとんどIT関連ばっかり)で勝負する。そしてそれとは別に小口に分けて何銘柄かのポジションをキャリー。ロング・ショートもやっていた。
常時、20~30銘柄は保有していたかな。
せっかく身につけた開発力を活かして、テクニカルベースのシステム・トレードなんかもしていた。
「ハイテク株にあらずんば株にあらず。」
なんて言葉もあった。
ハイテク株以外は全く相手にされず、鉄鋼株など旧来の重厚長大産業は全く蚊帳の外だった。
「バブル」経験者のおじさん達は、かつて凄腕と言われた人達ですらついていけない。そんな訳の分からん理解不能な業態の企業なんて買えないという人が多かったからだ。
自分は情報部時代に新興市場を担当していたこともあり、その手の銘柄は得意だった。
この時期、最もお世話になったのがソフトバンク。
この銘柄には何故か縁がある。
ペーペーの頃に店頭公開し、情報部に配属されたときは、注目度が高いとしてソフトバンク担当にもされた。社長のお供で本社に行ったこともある。
ひと銘柄で一番儲かったのは、先物を除くとこいつだった。
次から次へと話題を提供。
Yahooへの資本参加、Yahoo! JAPAN設立、証券業への進出や、テレビ朝日買収も仕掛けたり…。
「第2のヤオハン」と揶揄されて、株価が低迷していたところから、1万円台乗せ、2万円、3万円…と株価はグングン上昇していく。この辺りで某外資系証券のアナリストが思いっきり過大評価としてレーティングを引き下げて一時急落したことを覚えている。
それでもソフトバンクは切り返し、5万円を超え、10万円を超え…。一部ではそんなレポートを出したアナリストを嘲笑する向きもあったが、後で冷静に考えると彼はある面では正しかったのかもしれない。
そしてITバブルは崩壊へと向かっていく…。