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【回想録】20代の頃を振り返って

自分はどちらかといえば『落ちこぼれ』に属していた。

 

2浪1留で5流大出身。
学部も経済とかではなく、証券に全く関係のないところ。

 

 

中高生の頃に自転車競技(ロードレース)と出会い、夢中になった。
憧れの先週はベルナール・イノー。

 

偉大な選手でありながら、チームを率い、自分の後輩たちを育てていく姿が格好よかった。
ただ強いだけではなく、大きさを感じる選手だった。

 

それから夢中になり、毎日毎日練習に励む日々。
アマチュアではあるが、選手としてはどんどん伸びていき、レースで優勝するようにもなったが、反対に学力はみるみるうちに低下した。

 

 

そして浪人。

 

 

膝を痛めて選手としての道が閉ざされた時、辛うじて受かった大学。
しかし、本当に進みたい道が見つからず、バイトやったり、自転車部作ったり…そんなことばっかりやってて留年まで経験した。

 

 

『就職氷河期』なんて言葉が飛び交う時代の就職活動。

 

自分は当然、いいところなんていけないと覚悟していた。
採用してくれて、チャンスが与えられるなら…選んでいる場合じゃない。

 

あんまり具体的に考えていなかった。
案内が来る企業を「とりあえず」受けていった。
何をしていいのかよく分かっていなかった。

 

 

でもそんなときに一つの出会いがあった。

 

 

自動車販売会社と不動産会社を受けてある程度ゴールが見え始めていた頃、「本当にこのまま進んでいいのか?」と疑問が残り、就職室にいってみた。

 

 

何か感じるものがないかと、いろんな企業の募集をみていた。
そこで就職室の室長さんが声をかけてくれた。

 

 

二人で話すこと一時間。

 

業界としては金融に興味があるものの、高根の花とあきらめかけていた自分に室長さんは言った。

 

「君は確かに勉強はなまけてきた。でもあきらめることはないよ。都銀なんかは年齢制限でダメだけど、地銀・信金なんかを受けることは可能だ。話していて思うんだが、君は地力はありそうだから、証券や消費者金融なんかも考えてみれば?そういったところは学歴より実力で評価してくれるよ。」

 

 

初めて自分に「証券」というキーワードが刻まれた。
一週間後にもう一度面談する約束をしてその日は分かれた。

 

 

当時、株なんてギャンブルと同列に見られていた時代。
証券なんて一体どんな仕事をしているのかすら知らなかった。「株を扱っている」程度の知識。

 

帰りに本屋により、片っ端から証券に関する本を買い漁り、読み込んだ。
よく分からないまま「スワップ」の本とかも買っていたっけ(笑)

 

一週間後、面談の席で室長さんは

 

 

「驚いた。一週間でそれだけ勉強してきたのか?それだけのことが出来るなら君は証券にいくべきだよ。」

 

 

と話してくれた。
そして自分は証券会社を志すことになり、室長さんのアドバイスを受けながら2社ほど受けた。

 

 

どちらも合格。

 

就職氷河期と言われた時代に、自分のような落ちこぼれが…不思議なぐらい順調にいき、当時一部上場(でも一番下)の証券会社に入社が決まった。

 

内定をもらってからはさらに勉強した。
元々、読書好きだった自分。
片っ端から証券・株関係の本を読み、新聞・ニュースも見まくった。

 

 

内定期間中に会社の人事部が実施した『株式投資コンテスト』。
好きな銘柄を5銘柄選び、理由も書く。その月間パフォーマンスを競わせるというもの。

 

2回ほど実施されて、一回目は上位。二回目は下位。

ただ一生懸命銘柄調べて、四季報とチャートを見まくって、銘柄を選んだ。
理由も業績・財務・テクニカルとポイントをいくつかに分けて書いた。

 

それが自分の道を大きく変えることになるとは…。

 

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プロフィール

tetsu219

Author:tetsu219
元証券ディーラーです。
二十数年ディーラーやって、シンガポールにも一時期行ってヘッジファンドを立ち上げてみたりと色々やってきて、とある証券会社でディーリング部長になり、今はシンガポールでヘッジファンドの設立・経営をやっています。

基本仕事ネタです。
更新は気が向いたときだけ(^^;
でもこのブログを通じて運用を志す若い世代の人たちに何か伝えられること、その一助になればと思っています。

初期は限定記事にしていましたが、今は開き直って全部公開にしてますのでお気軽に(笑)

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