【業界ネタ】地場の株式ディーリング
ディーリング業界の変遷。
自分がこの業界に入ったのは1990年代前半のこと。
その頃は色んな会社が活発にディーリングをやっていた。
外資系も大手も実に様々な会社がやっていた。
社員がほとんどで、賞与は知れていたけれど…。
場立ちにも自己勘定で取引している人も結構いたし、バブル崩壊後とはいえ、まだまだ市場には隙間もチャンスもあった。
先日書いた現物株と先物を組み合わせた裁定取引(キャッシュアーブ)なんかもかなりやってるところは多かった。
大手や外資系以外にも、新日本、和光、丸万、ウツミ屋…。
派生商品で目立っていたのは極東証券。
先物市場では超有名人だった隅田氏がいた頃。
自分は先輩に連れられて何度かご一緒させていただいた。
まだ業界入りたての自分にとっては雲の上に見えたなw
山一ショックの時に、同社の社長が隅田氏のトレーディングのために山一本社に駆けつけて状況を確認したらしい…なんて噂も耳にした。
手法については色々と思うところもあったけれど、少なくとも一時代を築いた人だと思う。
他にも、光世証券や安藤証券なんかもデリバティブでは強かった。
オプションで目立っていたのは勧角証券。
ほぼ全ての権利行使価格で売り上位に並んでいる状態が毎限月続いていて、すっごいガンマリスク取りまくってた印象がある(その後、えらいことになったけど)
2000年前後からは、ITバブルを契機に現物ディーラーが一気に名を馳せるようになった。
成功報酬の高騰と契約ディーラー化が進んで、地方別の長者番付で、地場証券ディーラーがTOP10入りするようになったのもこのあたりから。
それまでも場や各社内では有名な人が沢山いたと思うけれど、インターネットもロクに普及していない時代。
多分、一般に知られるような人はなかなかいなかったと思う。
アーク、光、山丸、豊、岩井コスモ…。
一人一人の粒は小さい印象があったけれど、赤木屋や十字屋も人数がすごく多い印象があった。
派生商品では、玉支配率の高かった隅田氏がシンガポールに渡って「レジェンダ」というヘッジファンドを立ち上げた。
その後、派生商品で台頭してきたのが、アイザワ、岡三など。
自分が一緒にしのぎを削っていた友人の何人かはシンガポールに渡った。
その入れ替わりのようにレジェンダが閉鎖になっていったのは印象的な世代交代だった。
派生系は、なぜか光世出身者と泉出身者でうまい人が多い印象があったな。
一人のスーパー・ディーラーが移籍するだけで、その強弱が変わる群雄割拠の時代。
引き抜きが横行し、移籍金まで積む会社もあったぐらいだ。
アークなんかは「梁山泊」ってイメージだった。
凄腕のディーラーが軒並みかき集められてた印象。
一方で、腰を据えて未経験者や若い人材の育成などを継続されていたのは安藤、豊ぐらいだったように思う。
見習うべきところがあるとずっと思っていた会社だ。
ディーリング業界が活気であふれていた昔の話。
ここに名前の挙がったいくつかの証券会社はすでに廃業し、ディーリング部門を閉鎖した会社も多い。
三田や山和が新興勢力として伸びてきた印象はあっても、業界全体としては大きく沈んでいるのが実情だろう。
日本でしか通じない「ディーリング」という言葉。
グローバルでは「プロップ・トレーディング(Proprietary Trading)」。
「トレーディング」とだけ称されると、その内容は結構幅広い。
対顧客のために行うファシリテーションを目的とした自己勘定や、販売目的のために自己勘定で在庫を抱える場合もある。
昨年は「株式ディーリング」に限れば、どこもかなり厳しい状況だったと思う。
ここから数年が、残った会社にとっては正念場じゃないかな。
先日も一社撤退を決めたばかりだ。
3年~5年先、残れるディーリング部がいくつあるのか…。
パッと思いついて書いたから、漏れている会社も多々あるだろうけどご勘弁(^^;