【トレード】環境の優位性
最初に…色んな意見があっていいと思う。
でも色んな人が色んな話をする中で、「何を伝えるべきか」「何を受け取るべきか」を間違えないようにしてほしいなと思うことがある。
そんな主観を書いてみようと思う。
標題の【環境の優位性】。
これはいつの時代にも存在したし、現在も存在している。
それを不公平だと言ったり、それを利用して収益を上げることを否定してみても意味はない。
そこに優位性があることに気がつき、それを収益機会として活かし、実際に収益につなげ続けてきたのなら、それはそれで素晴らしいことだ(違法性や作為的相場形成、相場操縦行為につながるものはダメ)。
でもその環境の優位性に依存した運用をしていたとき、それが失われたときにどうなったかも大事なことだろう。
地場のディーリング業界は間違いなくその典型例なのだから。
自分自身、現役で思いっきり運用していた時代はまだ多くの【環境の優位性】がディーラーにある時代だった。
自分は短期売買でやっていたときでも、比較的ターンオーバーは少ない方だったし、様々なものを見ながら出来るだけ「相場の流れを読み、流れに乗る」運用を意識していた。
依存度は比較的低い方だったと思うけれど、それでもやはり一定の依存はしていたと思う。
かつては手口がリアルタイムに公開されていた。
「今買ったのどこ?」
「GSです。(=外人か機関投資家の大きなところが買いに来ているかもしれない)」
「今買ったのどこ?」
「〇〇証券です。(=ディーラーだな)」
という区別がすぐについたりもしたw
その時代は「板読み」や手口の分析は戦術的には重要なファクターでもあった。
先物なんかだと、引け後に一日のティックを全部確認しながら、どの注文がどの証券から出ていたかを分析しているようなディーラーもいて、そいつと飲みにいくと
「〇〇さん、あそこで投げましたよね。」
と他社のディーラーに言われる始末だったw
あとは板明細なんかもよく見ている人がいた。
その価格に並んでいる指値で自分がどの順番にいるのか。
注文の入り具合や、大口が入っているかどうかなど。
呼値適正化の前なんかだと、一文(アスクビッドの幅)が大きかったし、その呼値に並んでいる注文も多く、順番待ちになることも少なくなかった。
特にそれなりに大口だと、約定するかどうかで百万単位で損益がブレる場合もある。結構、みんな気にしていた。
裁定取引(現物株のバスケットと先物のアーブ)なんかをやっていたときは、SQの度に板明細よく見てた。
225採用銘柄の流動性の低い銘柄いくつかと、TOPIXの流動性低い銘柄(地銀など)いくつかをピックアップして、この板明細見ていると、何株単位でバスケット注文が入ったのかが分かる。
手口が公開されていた時代だと、「225型、1万株、〇〇証券から買い」と声を上げることも出来たぐらいだ。
そういうのを地道にいつも見ていると、各社(担当者)のクセや注文の入れ方、タイミングなどが見えてくるようにもなる。
かつての短期取引中心のディーラーにとっては、結構重要な情報だったかもしれない。
バイサイドに回ってみたときに、これが見えないのが結構不便と感じたことがある。
でもTT(Trading Technologies)のEMS(電子取引システム)だと、疑似的にそれを計算してくれる機能があったりもした(発注時点でその板に先にあった注文数を記録し、可視化してくれる機能)ので、特別優位かってほどでもないかもしれないけど。もちろん人の注文の入り方までは見てくれないけれどね。
手口非公開になったとき、先物をやっていたディーラーで話題になったのは(ごく一部のマニアックな人だけ)、SGXの注文だと電文に自分の注文がぶつかった相手の業者の番号が記載されていたこと。それが見れるEMSベンダーと見れないベンダーがあったりもして、選択のポイントになったりもしていた。
発注環境も明らかに優位性があったのは確かだろう。
でも一つだけ誤解しないで欲しいのは、かつても今も取引所が受け付けた注文を後から割り込んで先に入るようなことは出来ない。
証券会社にのみ提供されていた情報はどんどん一般化されるか、限定されていき、今はその情報の優位性はかなり失われている。
システムによる差もだいぶ少なくなった。
よく言えば、「市場は公平になった」ように思えるかもしれない。
でも今環境の優位性を持っているのはHFT。
彼らはその優位性を築くために多額の設備投資をし、かつては一生懸命目で追っていた需給分析や注文分析も、システムによって解析し、様々なファクターをAIなどまで駆使して分析している。
彼らの勝率は日ベースでみても、きっと恐ろしく高いはずだ。
環境の優位性を奪われ、それに依存していたディーラーはことごとく市場から離れていかざるをえなくなった。
ディーラーは優位性のみではなく、色んなことに制約も受けていることも少なからず影響している。
雁字搦めに縛られて、優位性も奪われたら、そりゃ絶滅危惧種にもなる。
でもそのHFTですら薄利多売の世界で思ったように収益を伸ばせず苦しんでいる。
取引コストが増加したり、何か規制が増えただけで、その収益性が大きく損なわれるリスクも高い手法でもあるのだから。
かつてHFT優遇と誤解され、批判された呼値適正化。
これに対して大手HFTも反対をしていたことを知っていますか?
彼らにとっては呼値の縮小が、サヤを抜いたときの利益縮小につながる。
順番待ちだったものが、0.1円刻みでの競争になり、結果利ザヤが減少する。
PTSに信用取引が導入され(制約はあるけど)、ダークプールの利用も増えている。
市場間競争が働くことはいいことではあるけれど、複数に取引が分散することによって新たな問題が引き起こされていくことにもなるだろう。
そこにも環境の優位性という問題が存在するのも確かなのだから。
どっちが優位とか不利とか、公平とか不公平とかではなく、いつの時代も環境の差は生まれている。
それはしかたのない事実だ。
それに不満を言うよりも、それをしっかりと見つけ出し、収益に結びつけることを肯定しつつも、それに依存するリスクを知ること。
かつての【手法】をまことしやかに語り、それを真に受けて今の相場で活用しようとしても、ほとんど意味はないだろう。
個人的には、相場と向き合ううえで、もっと本質的なものに目を向け、もっと深いところで戦った方が面白いと思う。その方が長く戦えるとも思うから。
よくある『手法を伝授してもらう』といったような薄っぺらいものではなく、その時代に勝つためにどんな努力をし、どうやってそれを見つけ出し、それを活かしていったのか?
そして時代がどう変わり、これからどう在っていくべきなのか?
そこからヒントを得て、自分の勝ち筋は自分で見つけていった方がいい。
かつて自分が後輩達を指導したときに必ず言っていたこと。
『自分のコピーにはなるな。』だった。
いいと思ったところは勝手に盗んでいいけれど、大事なことはその思考プロセスにこそある。
人間が違えば、個性も違うし、感性や思考プロセスも違う。
運用って個性でやるものだと思う。違っていいし、人の物まねではなく、自分で考え、適応していく力を身に着けることこそが、運用者として長く生き残っていくために必要なことなのだから。
必ず儲かる方程式(絶対もうかる手法)なんてインチキくさくて見る気にもならない。
それってあったとしてもコンプライアンス的にやばい手法か、何かに依存した手法、もしくはサイズ的に限界点の低い手法でしかないだろうから。
そんなものがあって今でも通用するならば、賢い人なら他人には教えず黙々と自分で稼ぎ続けるだろう。同じ手法を使う人が増えれば、それだけその手法は競争に晒されて、収益性が落ちていくのは当たり前のことなのだから。
政治・経済・需給・様々なイベントや情報…そういったものを受け止め、思考しながら相場と向き合う。
そこには読み誤るリスクが必ず存在する。
そのリスクとどう向き合うかが大事なのだと思う。