【ビジネス】年度末、そして新たな挑戦へ。
「年度末」ですね。
お金もなく、経験もない、運用の世界に憧れる若い世代。
その世代にチャレンジできる場所を作り、成長できる場所を作っていく。
そして成長した優秀な運用者を「地場証券の自己運用」という小さな鉢植えに閉じ込めるのではなく、より大きなフィールドに送り出す。そのためのヘッジファンド設立。
それがどこまで投資家に届くのかは分からない。
自分自身も20数年運用をやってきて、それなりに戦って結果も残してきた自負もある。
そして多くの運用者の育成にも携わってきた。多くの運用者が、志半ばで道を閉ざされてきたのも見てきたし、勝ち負けのある世界で勝ち続けることの難しさもよく知っているつもりだ。
それでも機関投資家、プロの投資家にどこまで明確な言葉で説明責任を果たし、伝えていけるかどうか…。
自分自身も学び、成長していかなければいけない。
廃業、撤退、縮小、契約解除…。
そんな暗い話がずっと何年も続いているディーリング業界。
国際的な金融機関はボルカールールの影響で、自己運用のリスクを取れなくなっている(プロップという言葉自体が否定されがち)。
そういった規制に囚われない中小規模の組織だからこそできることがある。
本来ならば夢を見れる世界であるはずの『運用』という仕事。
それがこれからも夢を見ることができる場所であるために。
その道を作っていきたいと思う。
そう願ってきた。
そして若い世代の運用者達に。
「運用者になること」を目標にするのではなく、「運用者になって、その先どうなっていくのか」までを見て、一日一日を無駄にせずに『運用』や『マーケット』と向き合って欲しい。
沢山苦しい思いもするだろう。
でもこの世界で苦しい思いをするのは、全て自分のせい。
でもね、そう言い切れるのは、とても幸せなことだよ。
何が悪かったのか、何をどうすればよかったのか、失敗を活かして次につなげればいい。次のチャンスを失うようなリスクさえ取らなければ、道は繋がっていく。
苦しんだ時期を、将来「あのときの経験が今の糧になっている」と言えるようになればいい。
そうやって一歩ずつ強くなっていくしかないのだから。
そして、いつかその先にその夢が叶うときがあればいい。
自分はそれを見守れたら、何よりも幸せだと思う。
シンガポールで暮らしていると、あまりそういった意識もなくなりがちだけど、個人的にもこの年度替わりが一つの大きな節目になるので、ちょっと特別な思いを持っている。
一年半ほど前にシンガポールに居を移し、ディーリング部全体の責任者という立場を持ちつつ、次の大きなステップのための準備を進めてきた。
昨年10月にシンガポールで新会社登記設立。
その後、そちらに転籍して、そっちの業務に専念。
運用会社としての登録をしてもらうための申請手続きをしつつ、様々な準備に取り組んできた。
それが出来たのは、これまでみんなと作ってきた場所を委ねられる人たちがいてくれたから。
そこからは、ある意味創業の大変さ。
名刺のデザインから、ホーページの作成、ITスタッフ、外部との交渉や経営、法律や制度の勉強…etc。
CEOといえば聞こえはいいけど、Chief Everything Officerと自他ともに揶揄したくなる感じw
そして覚悟はしていたものの、自分の力不足を痛感する毎日。
ちょっとばっかり知った気になっていた自分が恥ずかしいぐらい、ヘッジファンドの世界での言葉や認識の違いなどにも戸惑うことが多く、色んな方々と話しながら学ばせていただいてきた感じ。
日本、シンガポール、ケイマン…。
投資家が日本にいれば、日本の法律や制度、税制を知らなければいけない。
シンガポールで運用会社の登録を受ける以上、それも知らなければならない(MAS…Monetary Authority of Singapore)。
ケイマンにファンドがある以上、それも同様に知る必要がある。タックスヘイブンというイメージだけで考える人も少なくないと思うけど、AML(アンチ・マネー・ロンダリング)規制の強化なども行われていて、結構やることやってないといけない(CIMA…Cayman Islands Monetary Authority)。
もちろん法律事務所などのサポートも受けてきた(決してお安くはないですが…)。
そしてビジネスパートナーとして、PBやアドミニストレータの方々とのサポートも本当に心強かった。特に彼らとはこれから長いお付き合いになると思うし、毎日実務でもお世話になるパートナーともいえる大切な存在。
恐ろしいほどの英文のドキュメント…。PPM、DOT、IMA、PBA、ISDA、CSA…etc。
関係者間で何度もやり取りしながら、ファイナライズに向けて進めていくプロセス。
ファンド・ストラクチャリングって、すっごい大変なのね(+_+)
考えることも沢山。
投資家のニーズがどこにあるのか。
我々自身の運用をとことん自己分析すること。
その長所短所を知り、運用額の限界点がどこにあるのか(ソフトクローズ(資金の受け入れストップ)などのライン)。
そのうえでどういったTerm(投資条件、Management FeeやPerformance Fee、Gate、Redemptionなど)を決めないといけない。
日本の投資家と香港の投資家、中国などの他のアジアの投資家、欧米の投資家…投資家も様々だ。
求められるものも違うし、そのニーズもかなり違う。
自分たちの運用がどの投資家にマッチするのか。
そういったこともまだまだ学んでいかないといけない。
正直、この一年ぐらいの間のファンド業界での色んな経験で、「運用」を見る視点が大きく変わった気がする。というか、今まで見てきたものとはまた違う視点を持てるようになったと思う。大変ではあったけれど、それも自分にとっての経験であり、成長の糧だったのだろう。
終わりがないようにすら感じた、その準備段階もようやく終わりが見えてきた。
そして新年度からは新たなスタート(GWの10連休もあるので、実質的なスタートはそれ以降の予定ですが)。
そんな中で今月末でディーリングを閉める会社があると聞いた。
知り合い、友人もいる会社だったので、残念でもあり、心配でもあり。
『今のままでは地場証券のディーリングはダメになる。』
強くそう懸念を抱いたのが2007年の秋だった。
そこから足掻き続けて、一つの挑戦をしたのが10年ほど前のこと。
その挑戦に共に向き合ってくれた友人でもある。
巻き込んでしまった後悔や、守れなかった自分の不甲斐なさ…自分にとっては迷い足掻き苦しんだ時期だった。
これからの挑戦のベースには、自分にとっては過去の挑戦と挫折がある。
「リベンジ」
だとは思っていない。
あのときの思い知らされたこと、何が足りなかったのか、散々自問自答してきた答えを自分なりに見つけてこれたからこその新たな挑戦だ。失敗を無駄にせず、活かすこと。そしてあのときの失敗が無駄ではなかったのだと、共に苦労したみんなに思ってもらえるように。
そこから足掻き続けて、一つの挑戦をしたのが10年ほど前のこと。
その挑戦に共に向き合ってくれた友人でもある。
巻き込んでしまった後悔や、守れなかった自分の不甲斐なさ…自分にとっては迷い足掻き苦しんだ時期だった。
これからの挑戦のベースには、自分にとっては過去の挑戦と挫折がある。
「リベンジ」
だとは思っていない。
あのときの思い知らされたこと、何が足りなかったのか、散々自問自答してきた答えを自分なりに見つけてこれたからこその新たな挑戦だ。失敗を無駄にせず、活かすこと。そしてあのときの失敗が無駄ではなかったのだと、共に苦労したみんなに思ってもらえるように。
お金もなく、経験もない、運用の世界に憧れる若い世代。
その世代にチャレンジできる場所を作り、成長できる場所を作っていく。
そして成長した優秀な運用者を「地場証券の自己運用」という小さな鉢植えに閉じ込めるのではなく、より大きなフィールドに送り出す。そのためのヘッジファンド設立。
それがどこまで投資家に届くのかは分からない。
自分自身も20数年運用をやってきて、それなりに戦って結果も残してきた自負もある。
そして多くの運用者の育成にも携わってきた。多くの運用者が、志半ばで道を閉ざされてきたのも見てきたし、勝ち負けのある世界で勝ち続けることの難しさもよく知っているつもりだ。
それでも機関投資家、プロの投資家にどこまで明確な言葉で説明責任を果たし、伝えていけるかどうか…。
自分自身も学び、成長していかなければいけない。
廃業、撤退、縮小、契約解除…。
そんな暗い話がずっと何年も続いているディーリング業界。
国際的な金融機関はボルカールールの影響で、自己運用のリスクを取れなくなっている(プロップという言葉自体が否定されがち)。
そういった規制に囚われない中小規模の組織だからこそできることがある。
本来ならば夢を見れる世界であるはずの『運用』という仕事。
それがこれからも夢を見ることができる場所であるために。
その道を作っていきたいと思う。
そう願ってきた。
そして若い世代の運用者達に。
「運用者になること」を目標にするのではなく、「運用者になって、その先どうなっていくのか」までを見て、一日一日を無駄にせずに『運用』や『マーケット』と向き合って欲しい。
沢山苦しい思いもするだろう。
でもこの世界で苦しい思いをするのは、全て自分のせい。
でもね、そう言い切れるのは、とても幸せなことだよ。
何が悪かったのか、何をどうすればよかったのか、失敗を活かして次につなげればいい。次のチャンスを失うようなリスクさえ取らなければ、道は繋がっていく。
苦しんだ時期を、将来「あのときの経験が今の糧になっている」と言えるようになればいい。
そうやって一歩ずつ強くなっていくしかないのだから。
そして、いつかその先にその夢が叶うときがあればいい。
自分はそれを見守れたら、何よりも幸せだと思う。