「自分はかからない」
「自分たちの国は大丈夫」
「中国の問題」
「アジアの問題」
人間は自分にとって望ましい方向に思考しがちなもの。
楽観論と言いきってしまうことも出来るけれど、それが人間の性なのだと思う。
不安を感じることや、不安を煽るような言葉には目を背け、耳を貸さない。
それもしかたのないことなのだろう。
特にポジション持っているとバイアスかかりがち。
だから現役の頃の自分は、迷ったときや、自信が持てない瞬間はゼロにするか、方向性のリスクを極小化して、客観的に判断できるようにしていた。
世界的な超低金利を背景とした過剰流動性に支えられた強気相場。
先が読めなかった新型コロナウイルスの感染拡大。
その綱引きの結果なのかなと思う。
そこで儲かる、やられるはあくまで結果論。
なんだかんだ言っても、アベノミクス以降、相場は押し目は買っておけば儲かる相場だったし。
あそこまで戻るか…という違和感はすごく感じたけれど、それだけカネ余りでもあったんだろうなと。
欧米の投資家が、ようやく「遠い国・地域の問題」という認識から、自らに降りかかりかねないリスクと認識した感じなんだろうか。欧米の投資家の資金がどれだけ世界のマーケットに影響力があるか、思い知らされる動きとも感じる。
相場の勝ち負けは時の運でもあるし、それぞれの判断に賭け、その結果は受け止めるしかない。
ただ今回の問題で、そこにあるリスクを軽視し過ぎて、この下落で破綻するような状況だとすれば「リスク管理」の観点からは問題かもしれないけれど。
リスクとの向き合い方の基本は「だろう」ではなく、「かもしれない」だ。
運転教習所で習ったことだけどw
ただ企業としてのBCPとかはね、そういう訳にはいかないもの。
従業員とその家族、ビジネスの継続性をどう守り、顧客への責任を果たすことが出来るか。
最悪のシナリオを想定し、事前に備えをする。
適切なタイミングで手を打つ。
常に先回りで思考する。
武漢で起きたこと。
中国の他の都市で起きたこと。
韓国で起きたこと。
イタリアで起きていること。
全部、近い将来の日本かもしれない。
リスク管理において、これらを未だに他人事としてしか捉えられないようなら、それは問題だと自覚するべきだ。
感染拡大の初期段階にあると言われる日本。
いつまで従業員を感染リスクの高い満員電車で通勤させるのか。
感染者が出てしまったらどう対応する?
おそらく周囲の人たちは「濃厚接触者」とされて、要経過観察になる。
下手すりゃ症状がなくても、出社させるわけにもいかなくなる。
濃厚接触者でウイルス感染者かもしれない人と、他の従業員が冷静に一緒に業務できるわけもない。
同じ部署の人が全員出社できなくなるリスクだってそこにはある。
出社させられないということで有給扱い?
非常時の対応に、平時の常識振りかざしていたら、対応の選択肢なんてなくなる。
企業のマネジメント層が考えなければならないことは山ほどある。
事前に備えることすらできない組織が、それが顕在化したときに素早く適切に対応できるわけがない。
そこでリスクにさらされるのは、従業員とその家族、そしてビジネスそのものだ。
相場は「大丈夫だろう」で損したとしても自己責任。
でも経営が負っている責任はそうではない。その無責任によって害を受けるのは従業員とその家族、そして顧客だ。
情報を徹底的に収集し、どこにリスクがあるかをとことん考える。
それぞれの組織の規模や体制、業務の状況に応じて様々なリスクレベルに対応したプランを考える。
まだ問題が深刻化する前に想像し、考えておくから適切に行動ができる。
その備えが無駄になってくれることを心から願いながら。
周囲に慎重すぎるとか、怖がり過ぎだと笑われても、リスクがそこにある以上、誰よりも真剣に考えてすべてを受け止める覚悟で決断する。
他社がどうとか、協会が、監督官庁が、自治体や国が…と誰かに言ってもらえないと決断できない。
責任と向き合う覚悟がないからそうなる。
万が一、従業員やその家族が感染してしまっても、それが原因で事業が継続できなくなっても、その人たちは責任を取ってはくれない。
こういうときに求められるのはリーダーシップだ。
自分の決断に責任を負う覚悟。
批判を受けてでも、守るべきものを守るために決断する力。
「もし自社で感染者が出てしまったら」
この状況下で、そういったリスクを想定することすらできないようならば、組織を守る立場にいるべきではない。責任遂行能力が問われる状況だという自覚は持っておくべきだろう。