【ビジネス】大阪での小さな始まり
またまたお久しぶりのUPです(^^;)
先週から大阪に来ています。
3~4週間はこちらに滞在する予定です。
この4月から大阪にディーリング拠点を立ち上げるために来ています。
数年前からNPOの活動を通じて大阪のディーリング業界活性化のために何度か来ていた大阪。
大阪のディーラー達との交流も増え、彼らの声を聞いていて感じていたことがあります。
東京もかなり厳しくなりましたが、大阪はそれ以上に厳しい状況になっている…ということ。
本来ならば、ディーリングというのは花形職でもあり、夢も見られる仕事です。
厳しい世界ですが、一流プレーヤーになれば驚くほどの収入を得られることもありますし、何よりもトレーディングが大好きなやつらが好きな仕事につけているということはとっても幸せなことだと思うのです。
でもどこか不安だったり、委縮してしまっていたり…大阪の後輩達からはそんな印象を受けることが多くありました。
**********
一時は3000人もいたと言われるディーリング業界。
今は1000人程度かな(一部では500人とかいう人もいるけど、そこまではいっていないと思う)。
2010年のアローヘッド稼働後、業界は縮小を続けてきました。
アベノミクス相場が始まる前には絶滅危惧種とすら揶揄される始末。
「アローヘッドのせいで儲からなくなった」
「HFTのせいで儲からなくなった」
と環境の変化や他人のせいにしてきた結果がそこにありました。
米国でHFTのシェアがピークをつけたのは2009年です(70%近く)。
欧州では同年から2010年ぐらいだと思います。
日本でHFTが本格的に参入してきたのはアローヘッドが稼働した2010年以降のことです。
それまでは取引所の執行システムがあまりにもドンくさくてHFTのようなレイテンシー命のトレーディングにおいては致命的な参入障壁になっていた。
それがアローヘッドにより、執行システムの速度が彼らの要件を満たしたからこそ一気に参入してきただけのこと。
2000年代後半に欧米市場で何が起きていたのか?
なぜそれが日本では起きてこなかったのか?
それを知る努力をしていれば、アローヘッド稼働後に日本の株式市場で何が起こるかは容易に想像できたはずです。
自分は2007年頃からディーリング部の変革をしなければいけないと当時の会社、上司には訴えてきました。
しかし、今までこれでうまくやってこれたのだから…という変化への抵抗、怠慢、無責任、そんな壁にぶつかり、さらに許しがたい出来事があってその会社を辞めてしまいました。
その会社はディーリングの名門とまで言われた会社でしたが、2010年以降に縮小を続け、今は数名を残すのみとなっています。
運用に対するマネジメントの理解、意識、洞察力、将来を見据えて行動する努力、姿勢はとても重要なものだとそのとき痛感しました。
ディーラーを潰すのは簡単です。
ただ一言「やられるな」と言えばいい。
リスクを取らせなければ簡単な話です。
でもリスクを取るからリターンがある。
そのリスクを取らせなければディーラーの成長はそこで止まってしまいます。
そのディーラーがより成長していくためには、それに必要なリスクを付与してあげなければならない。
そして市場環境の変化に対応していくための選択肢を少しでも多く持たせてあげなければいけない。
本来ならば、もっと高い可能性を持った若手ディーラー達が、未来を夢見るのではなく、今をクビにならないようにするので精いっぱい…なんて状況は悲しすぎます。
せっかく大好きな運用の仕事につけているのだから、夢を持って頑張っていて欲しい。
少しぐらいヤンチャなぐらいがちょうどいい。
そんな風に思うのです。
自分はその会社を辞めた後、様々な模索をしなければいけない期間がありました。
チャレンジし続ける中で苦しい思いも沢山しました。
そんな中でシンガポールにも渡り、ヘッジファンドの世界にも片足を突っ込んだ時期もあります。
世界二位の個人金融資産を持つ日本という国。
にもかかわらず、運用ビジネスはなかなか育たない。
AIJのような詐欺的な運用が横行し、ちゃんと頑張っているところが沢山あるのに信用されない。
それなりに成功しているところでも欧米のものとは比較にならないほど小さく、アジアの金融センターはシンガポールと香港に奪われてしまった。
個人金融資産という資源を活かす。
その受け皿になりえる高いモラルと意識を持ったプロの運用者が育っていくこと。
様々な経験を通じて、それがとても大切なことだと思うようになりました。
米国ではボルカールール、ドットフランク法などの規制強化の流れの中で、プロップ・トレーディング(日本でいうところのディーリング)はほとんど縮小・閉鎖・外部化されています。
日本においては、経験もなくお金もない若手がチャレンジする場所すらどんどん失われつつあります。
それをなんとしても守り抜いて、未来につなげていく。
昨年から未経験者の育成も本格的に始めました。
そして部下であるディーラー一人一人の成長が今は何よりも励みであり、楽しみでもあります。
そんな思いで今の仕事をしています。
**********
そんな中で昨年、ある会社が大阪の拠点を閉鎖するという話を聞きました。
東京以上にシュリンクが激しい大阪のディーリング業界。
ちょっと心配になり、昨年10月に大阪に足を運び、現地の後輩たちの状況を聞きました。
みんな不安や不満を抱えている…そんな印象を受けました。
大阪出身の個人投資家には素晴らしい実績を持った人が沢山います。
大阪が決して人材に劣っているわけではない。
何かできないか…。
その一つの答えがこの4月からの大阪ディーリング室立ち上げです。
沢山の履歴書を送っていただきながらお受けできなかった人も沢山います。
今回、タイミングや状況が合わなくてご縁がなかった人もいます。
でも多くの人がそこで働くことを夢見て望んでくれたことに感謝しています。
またウチが出ることで人材流出という形でご迷惑をおかけしてしまった会社もあります。
どんな経緯であろうと、本人が望む以上、職業選択の自由というものを尊重し、一人ひとりと向き合い採用は真剣に考えてきたつもりです。
人は誰かのモノではなく、それぞれの人生の中で自分のために、家族のために、その未来のために懸命に生きています。
なぜ違う場所を望んだのか?という現実には目を背けずにいて欲しいと思います。
批判もあろうかとは思いますが、自分もプレーヤーとしてより成長するために違う場所を選んだことがあります。
それは大きなリスクも伴いましたが、その結果としてそれなりのプレーヤーにはなれたのだと思っています。
ウチの会社にも引き抜きを仕掛けるところがありました。
その話を聞いたことを申し訳ないと部下に謝られたりしました。
「謝るな。チャレンジしたいと思ったことを先輩として嬉しいと思うよ。もしそれで他社に移りたいと思うのなら、それは俺がまだ十分に仕事ができていないからだ。」
先週から大阪に来ています。
3~4週間はこちらに滞在する予定です。
この4月から大阪にディーリング拠点を立ち上げるために来ています。
数年前からNPOの活動を通じて大阪のディーリング業界活性化のために何度か来ていた大阪。
大阪のディーラー達との交流も増え、彼らの声を聞いていて感じていたことがあります。
東京もかなり厳しくなりましたが、大阪はそれ以上に厳しい状況になっている…ということ。
本来ならば、ディーリングというのは花形職でもあり、夢も見られる仕事です。
厳しい世界ですが、一流プレーヤーになれば驚くほどの収入を得られることもありますし、何よりもトレーディングが大好きなやつらが好きな仕事につけているということはとっても幸せなことだと思うのです。
でもどこか不安だったり、委縮してしまっていたり…大阪の後輩達からはそんな印象を受けることが多くありました。
**********
一時は3000人もいたと言われるディーリング業界。
今は1000人程度かな(一部では500人とかいう人もいるけど、そこまではいっていないと思う)。
2010年のアローヘッド稼働後、業界は縮小を続けてきました。
アベノミクス相場が始まる前には絶滅危惧種とすら揶揄される始末。
「アローヘッドのせいで儲からなくなった」
「HFTのせいで儲からなくなった」
と環境の変化や他人のせいにしてきた結果がそこにありました。
米国でHFTのシェアがピークをつけたのは2009年です(70%近く)。
欧州では同年から2010年ぐらいだと思います。
日本でHFTが本格的に参入してきたのはアローヘッドが稼働した2010年以降のことです。
それまでは取引所の執行システムがあまりにもドンくさくてHFTのようなレイテンシー命のトレーディングにおいては致命的な参入障壁になっていた。
それがアローヘッドにより、執行システムの速度が彼らの要件を満たしたからこそ一気に参入してきただけのこと。
2000年代後半に欧米市場で何が起きていたのか?
なぜそれが日本では起きてこなかったのか?
それを知る努力をしていれば、アローヘッド稼働後に日本の株式市場で何が起こるかは容易に想像できたはずです。
自分は2007年頃からディーリング部の変革をしなければいけないと当時の会社、上司には訴えてきました。
しかし、今までこれでうまくやってこれたのだから…という変化への抵抗、怠慢、無責任、そんな壁にぶつかり、さらに許しがたい出来事があってその会社を辞めてしまいました。
その会社はディーリングの名門とまで言われた会社でしたが、2010年以降に縮小を続け、今は数名を残すのみとなっています。
運用に対するマネジメントの理解、意識、洞察力、将来を見据えて行動する努力、姿勢はとても重要なものだとそのとき痛感しました。
ディーラーを潰すのは簡単です。
ただ一言「やられるな」と言えばいい。
リスクを取らせなければ簡単な話です。
でもリスクを取るからリターンがある。
そのリスクを取らせなければディーラーの成長はそこで止まってしまいます。
そのディーラーがより成長していくためには、それに必要なリスクを付与してあげなければならない。
そして市場環境の変化に対応していくための選択肢を少しでも多く持たせてあげなければいけない。
本来ならば、もっと高い可能性を持った若手ディーラー達が、未来を夢見るのではなく、今をクビにならないようにするので精いっぱい…なんて状況は悲しすぎます。
せっかく大好きな運用の仕事につけているのだから、夢を持って頑張っていて欲しい。
少しぐらいヤンチャなぐらいがちょうどいい。
そんな風に思うのです。
自分はその会社を辞めた後、様々な模索をしなければいけない期間がありました。
チャレンジし続ける中で苦しい思いも沢山しました。
そんな中でシンガポールにも渡り、ヘッジファンドの世界にも片足を突っ込んだ時期もあります。
世界二位の個人金融資産を持つ日本という国。
にもかかわらず、運用ビジネスはなかなか育たない。
AIJのような詐欺的な運用が横行し、ちゃんと頑張っているところが沢山あるのに信用されない。
それなりに成功しているところでも欧米のものとは比較にならないほど小さく、アジアの金融センターはシンガポールと香港に奪われてしまった。
個人金融資産という資源を活かす。
その受け皿になりえる高いモラルと意識を持ったプロの運用者が育っていくこと。
様々な経験を通じて、それがとても大切なことだと思うようになりました。
米国ではボルカールール、ドットフランク法などの規制強化の流れの中で、プロップ・トレーディング(日本でいうところのディーリング)はほとんど縮小・閉鎖・外部化されています。
日本においては、経験もなくお金もない若手がチャレンジする場所すらどんどん失われつつあります。
それをなんとしても守り抜いて、未来につなげていく。
昨年から未経験者の育成も本格的に始めました。
そして部下であるディーラー一人一人の成長が今は何よりも励みであり、楽しみでもあります。
そんな思いで今の仕事をしています。
**********
そんな中で昨年、ある会社が大阪の拠点を閉鎖するという話を聞きました。
東京以上にシュリンクが激しい大阪のディーリング業界。
ちょっと心配になり、昨年10月に大阪に足を運び、現地の後輩たちの状況を聞きました。
みんな不安や不満を抱えている…そんな印象を受けました。
大阪出身の個人投資家には素晴らしい実績を持った人が沢山います。
大阪が決して人材に劣っているわけではない。
何かできないか…。
その一つの答えがこの4月からの大阪ディーリング室立ち上げです。
沢山の履歴書を送っていただきながらお受けできなかった人も沢山います。
今回、タイミングや状況が合わなくてご縁がなかった人もいます。
でも多くの人がそこで働くことを夢見て望んでくれたことに感謝しています。
またウチが出ることで人材流出という形でご迷惑をおかけしてしまった会社もあります。
どんな経緯であろうと、本人が望む以上、職業選択の自由というものを尊重し、一人ひとりと向き合い採用は真剣に考えてきたつもりです。
人は誰かのモノではなく、それぞれの人生の中で自分のために、家族のために、その未来のために懸命に生きています。
なぜ違う場所を望んだのか?という現実には目を背けずにいて欲しいと思います。
批判もあろうかとは思いますが、自分もプレーヤーとしてより成長するために違う場所を選んだことがあります。
それは大きなリスクも伴いましたが、その結果としてそれなりのプレーヤーにはなれたのだと思っています。
ウチの会社にも引き抜きを仕掛けるところがありました。
その話を聞いたことを申し訳ないと部下に謝られたりしました。
「謝るな。チャレンジしたいと思ったことを先輩として嬉しいと思うよ。もしそれで他社に移りたいと思うのなら、それは俺がまだ十分に仕事ができていないからだ。」
そう本人には言いました。
これからもウチに来る子もいれば、ウチから出る子もいるでしょう。
でもそれはそれぞれが選ぶ道。
その背中を押してやれる上司でありたいと自分は思っています。
そして上司としての自分自身は今ここにいてくれる仲間や後輩、部下を大切にし、一人ひとりの自己実現のためにここがベストであれるように全力を尽くしていきます。
明後日から始動する大阪ディーリング室。
これからもウチに来る子もいれば、ウチから出る子もいるでしょう。
でもそれはそれぞれが選ぶ道。
その背中を押してやれる上司でありたいと自分は思っています。
そして上司としての自分自身は今ここにいてくれる仲間や後輩、部下を大切にし、一人ひとりの自己実現のためにここがベストであれるように全力を尽くしていきます。
明後日から始動する大阪ディーリング室。
この小さな始まりが、大阪のディーリング業界全体のために何かのきっかけになってくれたらと願っています。
東京のディーラー達以上に、大阪のディーラー達が夢を見て頑張り、そしてヤンチャであってくれるように。
東京のディーラー達以上に、大阪のディーラー達が夢を見て頑張り、そしてヤンチャであってくれるように。
【ビジネス】久し振りのアップ
おはようございます。
スキューバダイビングが趣味の自分。
このところ忙しくてなかなか行けませんでしたが、ダンゴウオに会いにいく日が決まり、少しばかり趣味での楽しみが出来ました♪
さてようやく金曜日。
今週も慌ただしく過ぎていきました。
いくつものプロジェクトを抱えているため、一昨日まではミーティングに追われ、昨日からは取締役会に向けた資料作り。今日は未経験者のディーラー面接とかも入っています。
「ディーラーを育成する」って簡単なことではありません。
特に短期運用は感覚的な面が多いので、伝えるのが難しいし、センスや適性によるところも大きい。
分析を元にした運用であれば、分析の仕方や考え方を伝えることはできる。
でも市場は変化していくもの。
その変化に適応していくためには市場を知り、自分を知らなければならない。稼ぎ方は人それぞれ、その時期によってもそれぞれですから。何がどうしてそうなっているのかを理解し、自分をそこに合わせていくことが必要になる。
育成枠の若手未経験者が増えてきたこともあるので、来月大阪ディーリング室の立ち上げから戻ってきたら、週に一度、自分が講習的なディスカッションを開くことにしました。
市場の仕組みや、運用の中での在り方…少しでも伝えていければと思っています。
お金がない、経験もない、でもマーケットの仕事、運用を志す若い世代にチャンスを作っていくこと。そんな場所が消えつつある日本において、ちっぽけな存在に過ぎない地場証券が担っていかなければならない大切なことだと思うのです。