FC2ブログ

【回想録】新しい道…2

海外に場所を移しての運用。

そしてバイサイドの環境。

これはそれまでの証券自己のものとは大きな違いがあった。



まず発注速度。

いくら高速化が進んでいるとはいえ、シンガポールから日本市場の売買を行うと、感覚的には若干のタイムラグを感じざるをえない。

執行速度という面では、やはり不利な印象は拭えない。



いくつかのISV(売買システム)を使ってみたが、先物に関してはTrading Technologies(TT)が一番使いやすかった。



シンガポール組(ヘッジファンド)の先物大口プレーヤーの多くは『ORC』というシステムを使っているプレーヤーが目立つ。



専門的には接続方式が他のISV(一般的なスポンサード・アクセス)と若干異なり、擬似的なネイキッド・アクセスという形を取っているのと、サーバーをブローカー、ユーザー全てが専用のものを使うために、より高速化が図られている。ただこの維持費が高い…。



現物株についてはToraかMetabitあたりになるのだが、シンガポールで使い始めた時はとても短期運用に使えるレベルではなかった。



まずスピードが遅い。

そしてマーケットが荒れるとすぐに遅延する。

あるシステムに至っては板画面が日本人向けにカスタマイズ出来ないため、左右逆の状態でやらなければならなかった。


とても日計りプレーヤーが何とか出来るレベルとは感じられなかった…。



もうひとつ、

証券ディーラー出身者にとって、慣れが必要なのが『レンディング』。

株を借りるという行為だ。



証券自己なら、普段は『制度信用』というものを使い、売りから入っても株を借りるという作業は現場は行わないで済む。



バイサイドの場合、株を借りてきてそれを売るという形になるため、最初に借り株の手当てが必要になる。



やり方は何パターンかあるのだが、これをうっかり忘れて売りから入ったりすると、空売り規制違反ということで面倒なことになってしまう。



システムトラブルは結構頻繁に生じ、これはかなりのストレスになった。

インタートレード社やTCSといった地場証券向けのシステムのように安定しておらず、また日本市場はあくまでメインではないため、サポートも十分ではない。ゆえに思わぬ問題にもぶつかった。



それでも慣れていかなければならない。

最初はおっかなびっくり。

悪戦苦闘しながら、環境に慣れることが重要だった。





一方で、オファーをくれた投資家はかなりせっかちな人で、ファンドを組成するということについて、ゆっくり腰を落ち着かせて…という猶予は与えてくれなかった。



地場証券出身者を中心にファンドを組成するということを彼は実現させたがっていた。

その方向性自体は自分の望むものではあったが、そのタイミングややり方についてはズレがあった。



シンガポールに移住して間もない自分。

しかし、次から次へと巻き込まれるように自分は動かざるをえなくなっていく。



今、思えばもう少しゆっくり考えるべきだったかもしれない。

ただ目指すもの自体は同じだったから、イケるときにいくべき…そんな思いが自分にあった。



それが一つだったはずの道を二つに分けていくことになる。







とりあえずその環境に慣れること。

【回想録】新しい道

ヘッジファンドへの挑戦。



期待と不安。



共にやってもいいと言ってくれた仲間がいたから決断できた。

しかし、その仲間のうち二人はそれぞれの事情があって、その時点では踏み出すことが出来なかった。



4人のうちでも一番若く、収益も安定していた『I』が共に行くことになった。



退職し、シンガポールへと発つことを知り合いにご報告した。

出発前の一カ月は送別会月間になった(^^ゞ

本当に多くの友人が送り出してくれ、勇気を与えてくれた。

最後の『大送別会?』は100人以上が参加してくれて、盛大に盛り上げてくれた挙句、自分の顔面はケーキまみれになった…。



シンガポールでの生活は新鮮だった。

飽きるのも早かったけど…(^^ゞ



日本で暮らしていたときのものはほとんど処分して、勿体ないものはコンテナに入れての引っ越し。

大きなトランク二つ分ぐらいの荷物だけ。

まぁ、家具とかはついているし、一年中夏だから夏服しかいらないし(何故かあの国にいるとオシャレする気にならなくなる…)、困りはしなかったんだけど、かなり身軽な引っ越しでした。



住居に選んだのは都会のど真ん中のタワーマンション(向こうではコンドミニアム)。





しがないディーラーのブログ






63階建てだったかな?その20階の部屋を選んだ。

60階ぐらいの部屋を案内してもらったんだけど、外を見てあまりの高さに気持ち悪くなったのと(高所恐怖症ではないんですが…)、そこから見える景観がコンテナばかりだったのでさすがにやめた(^^ゞ



部屋は築年数が浅いこともあってかなり綺麗な印象。





しがないディーラーのブログ







しがないディーラーのブログ












向こうのコンドミニアムはほぼ全てに屋外プールがついている。

常夏で真冬でも泳げる国ですから。





しがないディーラーのブログ




しがないディーラーのブログ










なんといっても会社まで歩いて5分程度。

住環境は申し分なかった(^^)



ちょっと微妙だったのは食生活。

現地食は安いが、どーも自分には口に合わない。

日本食レストランも結構あるが、値段が高い割に当然のごとく日本ほどうまくはない…。



なんかインスタントラーメンとか大量に買っておいて、ファーストフード(モスバーガーとか、ウェンディーズとかお馴染みのとこ)で済ませたり…。



あとテレビがやっぱり独り暮らしにはつらい。

つけても英語番組とインド系だったり、中国系だったり…。

正直、テレビっ子の自分にはかなり厳しいものがあった。

実家にロケーションフリー設置しておいてよかった。



ネット経由で実家に設置したロケーションフリーを使って、PCで日本のテレビを見ていた。

パンドラTVなんかも助かったな(過去のドラマとかを無料で観れる)。

ただネット環境も日本ほど安定していないので、しょっちゅう切れる(>_<)



日本の雑誌とかは当然コンビニでは買えない。

紀伊国屋があるので、そこまで行けば割高でも週刊誌とかも手に入る。



移動はほとんどタクシー。

何といっても安いから。

ただドアは自分で開け閉めしてくださいね。

自分も何回かやったが、開けたまま出て行きそうになって運ちゃんに怒られました…(^^ゞ



メトロも結構使えたけど、どの駅で降りると何があるか、ちょっと慣れるまで時間かかったかな。

バスもすごく便利らしいんだけど、路線が覚えられなくて、結局詳しい人と一緒に一度乗ったきりでした。



シンガポールには(SGXトレードしてたから)古くからの現地の友人も多かったし、日本からシンガポールに移った友人も多かった。

ただ慌ただしくて、結局あまり彼らと飲み交わす余裕はなかったけど…。



ビザの手続きなんかもあって、移住して2週間ぐらいはバタバタしていたかな。

そしていよいよヘッジファンドを目指して運用を開始する。


【日常】ディーラー達と鍋パーティ

昨日はTwitterで仲良くなったディーラー達とウチで鍋パーティ。

 

映画鑑賞会やろうという話からそう話が広がったのだが、肝心の映画はそっちのけで話に夢中(笑)
『銀行崩壊』でニックが大損出すシーンだけ、みんな沈黙して映画を見ていた…(^^ゞ

 

 

Twitter見ていて感じていたのだが、証券ディーリングが低迷を続けている中で、かなり勝負しているメンバー。

 

驚いたのはその彼らがディーラー始めて2年~3年程度しか経っていないということ。

自分はもう10数年(どちらかといえば20年に近い…)。
ウチのメンバー3人だけがオッサンでした(笑)

 

でも若い人たちで、これだけ勢いがあるディーラーがいるのは嬉しい限り。

 

 

昨年はアローヘッド稼働後、各社ディーリング部は苦戦してきた。
ディーリング部大幅縮小や閉鎖が相次ぎ、そして年末には大成証券が自主廃業を決めた。

 

 

そんな中でもイケイケな感じの若手がいる。
こういったメンバーがこれからを担っていくのだろう。

 

 

彼らがどうして成長していったかという話の中で、ちょっと面白いなと感じたことがあった。
mixiのコミュで収益を公開しあい、お互いに刺激を与えあって、それが成長の原動力にもなった…と。

 

 

自分も2度目の移籍を決めたとき、自分より強い奴がいるところにいきたいと思って移籍を決めた。
そこそこの収益でエースだなんだと持ち上げられ、満足しかけていた自分には刺激が必要だったし、プレッシャーを与えてくれる存在が必要だった。

 

それがその後の自分の成長にもつながった。

 

人とのつながり…まだ始めて半年も経たないけど、mixi,Ameba,Twitterなんかも使ってみるとこうして人とのつながりを広げてくれるものになった。

 

 

今回のようにディーラーだけではなく、デイ・トレーダーの人とかとも知り合いになれたり。

 

 

色々と楽しかった一日でした(^^)

 

【回想録】混迷のとき…16

そういってくれたディーラー仲間3人と共にシンガポールに一度行ってみようということになった。




自分は『チーム』にこだわっていた。


短期運用を主としてやってきたディーラーにとって、運用規模の限界点は高くはない。

ロング・ショートなどであれば、まだ規模が大きい運用も対応できるが、短期運用の世界では流動性の問題も含めて、それほど一人のキャパシティは高くはない。




しかし、ファンドをやるのであれば、規模の拡大を目指さなければ意味はない。

成功報酬だけなら、地場証券ディーラーの方が圧倒的にいい。




自分が運用できる適正規模は30億円程度までだろう。

これまでのレコードで見ても、そのぐらいならある程度納得できる利回りを確保できるが、それ以上はストラテジー(運用手法)を変えていかないと難しい。




ファンドの世界では30億円というのは非常に小さい規模に過ぎない。

地場証券のそれとはあまりにも大きな隔たりがあった。


それを組織として行うことでカバー出来るのではないか、と考えていた。

資本効率の高い運用に関しては長けている運用者が多い。

それがディーラーでもあるのだから。




それを目指すことができるとするなら、自分一人ではなく、チームで…と考えていた。




4人でシンガポールに行くことにし、オファーをくれた投資家と会った。

そしてシンガポール在住のヘッジファンドをやっている友人たちとも会い、仕事について、そして生活についても色々と聞いた。


少しずつ踏み出す決意が固まりつつあった。





問題は今の仕事。




いくらその可能性があると伝えてあったとしても、ある程度のケジメはつけなければならない。

副社長に相談し、後任を見つけてもらえるまでの間は頑張ることにした。

いずれそういう時が来ると思うからと伝えておいたこともあって、引き留めはそれほど強くはなかった。




『送り出そう』




そう言ってくれた社長、副社長には心から感謝している。

色んな壁に苦しみもした会社ではあったけれど…

仕事に懸命であり、誠実であることの大切さを教えてくれた会社でもあった。




そしてしばらくして…


その時は来た。

シンガポールに移り、そこでファンドを目指す。

新しい挑戦の始まりだった。



【ビジネス】ご挨拶

今朝、業界関係者の方々に退任の御挨拶のメールを送った。

本当に多くの方から返信や電話をいただき、励ましやこれからのこと、そして食事のお誘いやら何やら、いっぱい頂いた。

『ありがとうございます。』

そういった人たちの言葉の一つ一つが自分に力を与えてくれている気がする。


どういった道に進むべきなのか…

今、いくつかお話をくれている会社もある。
とても真剣に動いてくれている会社もあって、しっかりと誠実に向き合わなければいけない。

また今日の挨拶以降、色々と動きがありそうだ。

ただ道のりは変わっても、目指すものは変わらない。
それを理解してくれる投資家、経営者の下でやらなければ、同じ過ちを犯すことになる。

さて、どう動くか。

少し休もうとは思っているけど、これだけ多くの人が『待っている』と言ってくれている。

本当に自分は幸せ者だな…。

1~2カ月休養したら、また前に進みたい。

【ビジネス】嬉しい出会い

今日は地場証券のディーラーの紹介で名古屋から来た運用者と飲んだ。

彼もついこの間まで、地場証券のディーラー。今は3人の仲間とファンド立ち上げに挑戦しはじめている。

我々がいったん振り出しに戻る今、自分よりはるかに若いディーラーから、そういった挑戦者が出てきたことは嬉しい限りだ。

ディーラーとは違う苦労もあるだろうし、ディーラーという閉鎖的な世界での常識が、運用ビジネスにおいてどれだけ非常識なのか、戸惑うことも多いだろう。

でも頑張って欲しい。
自分が出来る応援はしてやりたいな、と思う。

人の心配している場合じゃないんだけどね(^_^;)
でもこの嬉しい出会いに自分も力をもらった気がする。

【ビジネス】ファンドクローズ

多少、ブログでは限定記事で書いてきたが、今月末で我々全員が今の会社を退任。

そしてファンドはキーマン条項(キーマンとなる人間が辞めるもしくは不慮の事態に陥ったときに無条件でファンドをクローズする)に引っかかり、クローズとなる。

 

今はお世話になった方々への挨拶回り。

 

それも今週末で終わる。

 

まだ挨拶をさせてもらった人たちしかこの話は知らないはずだが、こういう話はすぐに出回る。

 

既に話を聞いた会社や心配して知人が紹介してくれた会社からいくつかの打診はいただいている。

 

このご時世にありがたい話だ。

 

本当に人に恵まれている…そう痛感する。

 

出来れば今の仲間と共にやりたい。

 

ただそれも容易ではないだろう。

仲間にもそれぞれの事情がある。

だから一度は離れることになるかもしれない。

 

でも共に同じ志を持ってチャレンジした仲間。

 

みんなに感謝したい。

そしてまたいずれその時が来たら、共にやれる日も来るだろう。

 

今週は特に親しい人たちや会社さんにご挨拶に回っている。

 

どこにいっても励ましをもらい、そして期待の言葉をもらった。

 

『こういったみんなに支えられて、今の自分はあるんだな。』

 

 

と改めて思う。

 

独りじゃできなかったことも仲間や彼らの支援で乗り越えてこれた。

 

 

会う人会う人に

 

 

 

『少し休憩した方がいい。ずっと走ってきたんだから。』

 

 

と言われる。

 

2月、そして3月ぐらいは休もうかと思っている。

 

海外一人旅を計画中なんだけど、次のメドだけでも立ててから行った方がいい気もする。

 

タイミングが難しい。

 

インドネシアかトルコ辺りを検討中。

 

異文化、自然、歴史…。

そういったものに触れたいと思う。

 

旅に出たら、しばらくブログとツイッターの内容はマーケットから離れると思うけどご容赦を(^_^;)

 

【回想録】混迷のとき…15

混迷のときが長い気がしますが…実際長いのでもう少しお付き合いください(^_^;)




シンガポール在住の投資家からのメールには、運用資金を預けるのでヘッジファンド立ち上げに挑戦してみないかとのことだった。最初はその投資家の運営する組織の中で運用しながら、ステップを踏んでファンドとして独立を目指すという内容。




『何で自分?』




とも思ったが、シンガポールにいる友人やインキュベータ(ヘッジファンドのサポートビジネス)と言われる仕事をしている知り合いから自分の名前が挙がったとのことだった。




最初はあまり真剣には受け止めていなかった。

今の会社でディーリング部立ち上げという仕事を始めてまだ半年。いくら困難が多くても諦めたり、投げ出したりするのはまだ早い…そう思っていたから。




しかし、前回の一件以来、ここで目的を実現することは無理なのではないか…そう思い始めていた。


運用に回せる資金は最初に聞いていた金額の3分の1しかなく、東証会員権も取ると言っていたのに取れないまま。そして極端な企業文化。人材育成についても前回のような有様だったから、とても期待はできない。




自分は苦慮の末、退職を考えたいと上司に伝えた。

数日後、社長、副社長と三人で飲みにいこうと言われた。


そこで社長は熱く語ってくれ、自分を引き留めてくれた。


『お前がやってくれるなら10億やられたっていい。』


そこまで言ってくれた。


社長は強いリーダーシップを持ち、ビジネスに対してもアグレッシブで尊敬できる人だった。

そんな人にそこまで言われて…自分の心は揺らいだ。




でも…200万の損失で『空気読め』と言われて、その数か月後に『10億やられてもいい』なんて言われても、『はい、分かりました』と切り替えられるもんじゃない(^_^;)




どうしても『迷い』は断ち切れなかったが、尊敬する経営者にそこまで言われては…。




今の自分は

ファンドに関するオファーが来ており迷っていること。

そしていずれそういったチャレンジをしたいと思っていること。

いくつもの現実的な問題があり、正直実現は難しいと思っていること。

最後までやり遂げる約束は現時点ではできないこと。

そして時が来れば、ファンドへの道を模索する可能性が高いこと。




それらを全て社長・副社長に伝えた。

それでも頑張ってみろ、と言うのであれば、今出来る限りの全力は尽くす

と約束して再スタートを切ることになった。




ディーリング部はトレーディング本部から離れ、副社長直下の組織として再編成され、自分の直属は例の本部長ではなく、副社長になった。




そこからいくつかの案件がようやく動き始めた。


バックオフィスの人たちや人事、システム部のみんなが本当によくサポートしてくれた。

以前よりは前向きに動けるようになっていた。


しかし、道程はあまりにも遠かった。




会社としては好きな会社だった。

何といっても『熱い』人が多かった。

真面目だし、自分には合っていた面もあると思う。


ただ組織としては『軍隊』。

証券業界においては対極ともいえるディーラー達。

社内育成、未経験者育成で組織化していくには、あまりにも道が遠かった。




あるとき、ディーラー仲間の後輩たちと4人で飲んでいたとき、自分はふと『ファンド立ち上げ』に関するオファーが来ていることを話した。


彼らは口々に




『そんな話来てるなら、もったいないっすよ。』

『考えてみた方がいいっすよ。』

『俺らで良ければ一緒にやりたい。』




とまで言ってくれた。

自分の心が動いた瞬間だった。




そしてその投資家に一通のメールを送る。

それが次のチャレンジへのスタートとなった。

【回想録】混迷のとき…14

その一件以降、直属の上司に対する不信感が強まっていた。




ただでさえ、ディーリング部を作るのが困難な状況。

ディーラーとは相容れない、真逆ともいえる企業文化。

運用資金は部を組成するにはあまりにも少なく、東証の会員権もないため、現物株ディーラーも呼べない。




中で育てていくしかない。

そう思い、適切な人材を回してもらうように頼んであった。

しかし、他部門から引っ張ってくるのは容易ではない。




そういうこともあってトレーディング本部内で一人こちらから指名をした。

朝から夜遅くまで黙々とFX関連の仕事をしていて、研究熱心だった彼。

しっかりとした指導と環境があれば伸びる子だと思った。

ディーラーになりたいというはっきりとした希望もあった。


本人も希望し、自分も彼を望んだ。




ところが…。


ある日、彼が異動の打診を受ける。

異動先は韓国。

何もないところに一人でいき、向こうの証券会社と協力してFX事業をやれとのこと。

しかも飲みの席で突然例の上司から打診されたらしい。




週末、彼は自分に電話をかけてきた。

インターネットで地場証券のホームページを見ながら…




『自分はこの会社を辞めます。ディーラーとしてどこか他で挑戦します。ただどういった証券がいいのか、ホームページだけでは分からないのでアドバイスをいただけませんか?』




色々と話してみたが決意は固い。

とても残念だった。

ただでさえ人材不足の状態。

彼を何とか育てていこうと思っていた矢先のことだった。




しかたなく彼に安易に動くなとだけ言い、自分が知っている中で最も人材育成に熱心で、しかも成功している会社の部長に相談した。


そして会ってもらった。




複雑な心境だった。

自分の下で育てたい人材。


しかし、思うようにいかない中で、上の思いつきの案件に振り回された結果、彼は辞めていこうとしている。

最初にいこうとしていた会社は3ヵ月で簡単にクビになる。

そんなのを何度かやってしまえば、彼の将来は閉ざされてしまう。


しっかりした環境で育って欲しかった。

悩んだ末に道を開いてやろうと決断した。





そのすぐ後の部店長会議。


例のごとく、上司は絞られまくっている。

そして、本人が辞めようとしていることすら知らず、韓国案件などで色々とやろうとしているんだと言い訳に近い弁明に追われていた。


いつものように隣で立ったまま、上司に合わせて申し訳ありませんと頭を下げる…つもりだったのだが、このときばかりは頭を下げる気にもならなかった。




『もういい加減にしろ』




と頭に来ていた。

上司が怒られているにも関わらず自分は座った。




その人がリーダーシップを取らない。

責任を取らない。


結果、トレーディング本部という船はガタガタになり、今にも沈もうとしていた。

ペコペコ頭下げてばかりで、アレやります、コレやりますとばかり言って、実務ではなにもしない。

だから部店長会議ではつるし上げになる。

そして部下が何人も辞めていこうとしている。




その部店長会議が終わった後…


ディーリング部に戻った自分にその上司が追いかけてきて声をかける。




『やっぱり彼(その若手)は部長のところにもっていこうと思うんだけど…』




自分はその時にキレた…。


上司を怒鳴りつけ、その会社で言うところの『追及』をしていた。

上下関係を恐ろしく重んじるその会社で、部下が上司を『追及』するのは珍しいことだったんじゃないかな(^_^;)




部店長会議後は、社長以下部店長全員で恒例の飲み会がある。

その時間が過ぎても自分は上司を怒っていた。




このままでは部下たちを守れない。

彼らの人生を思いつきや自分の都合で振り回すな。

自分が若手だった頃、望みもしない異動を申し渡され、どんなに努力してもディーラーへの復帰が叶わず、移籍せざるをえなかったことを思い出していた。

あなたが変わらなければ、この本部はいずれなくなる。




総務の人が何度か呼びに来たが、




『黙っててください』

『後にしてくれ』




社長が呼んでいるのは分かってはいたが、どうにも抑えられなかった。




そしてその頃、自分に来ていた一通のメール。

それはシンガポール在住の投資家から、ヘッジファンド立ち上げをやってみないかとの誘いだった。


そのときから自分の気持ちは一気にそちらに傾いていくこととなる。

【日常】頑固蛸



昨晩、夜中零時過ぎに車で目黒通りを走っていたら、ほとんど真っ暗になっている通り沿いの店の中でポツンと明かりをつけている店を見かけた。


たこ焼き屋

『頑固蛸』






小腹が減っていたので立ち寄ってみる。

初めて寄った店だった。


決して店構えが立派とかいうわけではないが、店の前には芸能人のサインがズラリと並ぶ。


ミスチルの桜井さん、小倉優子、雨上がりの宮迫…などなど。






何種類か選べるのだが、外はカリカリ、ネギ醤油を選んで待つ。

5分ほど待ち、出来上がり。

車に戻って食べてみる。






ムチャクチャうまい…。

こんなにうまいたこ焼きは初めて食った。


外はカリカリ。

中はトロトロ。


おそらく有名店なんでしょう。

目黒のこの辺りってそういう店が結構多いんですよね。


休日に今度ゆっくり回ってみよう。
プロフィール

tetsu219

Author:tetsu219
元証券ディーラーです。
二十数年ディーラーやって、シンガポールにも一時期行ってヘッジファンドを立ち上げてみたりと色々やってきて、とある証券会社でディーリング部長になり、今はシンガポールでヘッジファンドの設立・経営をやっています。

基本仕事ネタです。
更新は気が向いたときだけ(^^;
でもこのブログを通じて運用を志す若い世代の人たちに何か伝えられること、その一助になればと思っています。

初期は限定記事にしていましたが、今は開き直って全部公開にしてますのでお気軽に(笑)

最新記事
最新コメント
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR